●老舗紹介

24593776_m★先惷園  銘茶
 大阪で現存する茶舗の中で、一番古い歴史をもつといわれている先惷園は、創業文久三年(1863)当時の両替商ベスト10の一人天王寺屋五兵衛の番頭をしていた、荒堀源之助が別家するにつき、初代として茶の小売業を始めた。
 先惷園の屋号は、源之助の友人の学者が「中国の明の時代に皇室の茶園があって、先惷山と言った。その名を拝借して、先惷園と改めるがよい。」と勧めた。

 「客来敬茶」という言葉は、客に茶を出すことが相手に敬意を表するという意味で、いつの時代でも変わらぬ味わいと香りを奏でるお茶は、私たち日本人に最も親しまれている飲み物であるといえよう。
 <先惷園>は、老舗の茶舗として、数々の由緒あるお茶会にも伝統の香味を納めてきた。伝統の技と心で丹精込めてつくりあげた深い味わいは、どなた様にも喜ばれている。
                        
▲大福茶
 一年のうちで、共通の目出度いことと言えば、やはり正月の行事ということになる。今ではコロナの影響もあって、それほど厳しいしきたりもなくなったが、元旦には、若水を神仏に供え、若水を沸かして大福茶を飲み新年を祝ったものだ。
 大福茶は「王福茶」「大服茶」「王福茶」ともいわれ、抹茶に梅干しを一粒入れて新年を祝福する儀式用のお茶のことである。
                          
 大福茶の起源は諸説あるが、天暦九年(951)京都に悪い病気が流行して死者が続出した時、空也上人が心を深く痛め、観音菩薩像を作って車に乗せ、自らこれを引いて市中を廻り、観音様に供えたお茶を病人たちに与えたところ、病気が治った者が多く、次第に都の人々の病気も治ったということから、その功徳にあやかる意味から、村上天皇は毎年正月元旦に「大福茶」を服されたので、「王服茶」と言われるようになったということである。それ以後一般市民がこれにならったので「大福茶」が広まったという。
 また、村上天皇がご病気の時、観音様の霊夢により供茶の茶を服用したところ、たちまち全治された。天皇の飲まれた茶だから「王服茶」ということになったともいう。
 その風習はかなり古くからで、元禄年間の「本朝食鑑」という書物にも記載されている。
                                 
 日本人の食生活に於いてお茶は切り離せないものであるが、お茶に含まれているタンニンには、骨の破壊を抑止する働きがあり、貴重な飲み物である。
 抹茶をはじめ<先惷園>のお茶は、さすが老舗の<のれん>を誇る最高級のお茶で、一度服すれば、必ず再度お求めいただける顧客が多くおられ、なじまれている。      
                                       梶 康子