2014年夏号

のれんメール

illust05.jpg
   ★ 下に立ち見上げし杉や夏木立    立 子(六月)
   ★ 古家や草の中より百合の花     成 美(七月) 
   ★ 梶の葉を朗詠集の栞かな      蕪 村(八月)
   ★ 山間の霧の小村に人と成る     虚 子(九月)
                        新歳時記より
続きを読む…

煎茶道

201406sadou
  茶道といえば、抹茶のお薄茶、お濃茶が、一般的に認識されがちだが、われわれに一番身近なものは、煎茶ではなかろうか?
 そもそも<煎茶道>の起こりは、一人一服だった濃茶が、利休から飲み回しになり、それを好まぬ者も出たりした。そういうことから略式の薄茶になり、更に簡素な煎茶へと推移していったと考えられるむきもあるくらいだから、作法がどうのこうのというよりも、いかに美味しく茶を喫するかにある。
 親しくしている煎茶道の師匠に、初めて<煎茶手前>の茶をいただいた時、舌の先でほろほろと転がるような、まろやかな美味しさに、目をみはったものである。
 特別に上等のお茶かと聞いてみたら、特別に用意したものでなく、ごく普通に市販されている、家庭で使っている茶の葉であると聞き、感動したのを覚えている。
続きを読む…

ふるさとを訪ねて<滝泉寺(奈良県、吉野、北山村)>

201406tera
 悠久の歴史の中で、平凡ながら人生を全うする者と、その家系に生まれたばかりに幼い命を心ならずも断たれ、悲しみを残して死んでいった人たちも多くいる。歴史を学び、物語を読むたび、やりきれない怒りと哀惜の想いを感じるが、今回滝泉寺を吉野の山深く訪ねた。臨場感がそうさせるのだろうか、胸が痛む思いをした。
 後醍醐天皇の文保年間より後亀山天皇の元中年間末に到るまでの57年間、南北両朝が皇位を争った。いわゆる南北朝時代のことである。後亀山天皇は、元中9(1392)年
北朝の申し出に応じ元中の盟約を結んだ。
 1、父子の礼を以って神器を北朝の後小松天皇に譲る。
 2、後亀山天皇に太上天皇の尊号を贈る。
 3、以後、南朝・北朝が交代で皇位に即く。
 これにより南北合一がなり和議が成立した。しかし、その後、北朝は、南朝に皇位を譲らず盟約を実行しなかったので、60余年にわたる争乱を招いた。
続きを読む…

アサヒビール株式会社<アサヒの森>

201406beer
  戦死した父は、ビールが好きで、幼かった私の脳裏には、ビール腹で私を抱きかかえてご機嫌でアサヒビールを飲んでいる父の姿が焼きついている。当然のことながら、私もビールは<アサヒ>、家族も習慣的に<アサヒ>党である。目まぐるしく発売されるビール業界の数多くの新商品があるが、<アサヒ>の新商品が出ると必ず試飲して、家族で楽しんでいる。

 第二次世界大戦の影響で、コルクの輸入が、途絶えることを危惧した大日本麦酒時代(アサヒビールの前身)1941年にビール瓶の王冠に使用しているコルクの代用品として、アベマキの樹皮が候補になり、それらが多く自生している広島県の山林を購入した。結果的にアベマキの樹皮をコルクの代用品としてビール瓶の王冠に使わずにすんだが、アサヒビール株式会社にとって、事業に必要なくなった森だではあったが、多くの生きものが生息する森は、放置しておくと荒廃してしまう。そこで一部の自然林も残しながら、ヒノキやスギの植林を始めた。ビールづくりにかける情熱を森づくりにも注いだ。1960年代から植林に着手。70年以上にわたって森を育ててきた。
続きを読む…

小鯛雀鮨すし萬<鮨屋萬助・阿倍野歩道橋>

201406sushi
 <すし萬>と私との関わりは、若き日の娘時代に遡る。就職した会社の社長や重役の方々が、本社から大阪支社へ来られたときは、必ず<小鯛雀鮨Ⓡ>を、お土産にするのが、慣わしだった。当時は、阪神マート(現在の阪神百貨店)と、大阪横堀筋違橋(すじかいばし)の本店でしか売っていなかったと記憶している。
 余ほど美味しい物に違いない、女子社員でお金を出し合って、一切れずつ食味したことがあったが、その美味しさに一同驚嘆したものである。最高級のすし米を丁寧に炊き上げ、まろやかなハリのあるすしご飯は、他者に真似のしようのない創意と工夫を思わせる。明石鯛、吟味された醸造酢、全体を包んでいる昆布は、北海道産の選りすぐり、一度食べたら忘れられない美味しさだった。
続きを読む…