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のれん誌
2023年12月発行

のれん紹介 先春園本店

【のれんの歴史】
 先春園本店の創業について、家伝によると、十人両替の筆頭として大坂両替商の代表的な立場であった天王寺屋五兵衛家の番頭を務めた荒堀源之助が、各界の名士が集う茶席サロンに通ううち、お茶の魅力に取りつかれ、「天王寺屋荒堀源之助」として茶の小売業を始めたのが起源とされている。その後、中国明時代の皇室の名茶園、先春山にちなんで「先春園」と屋号を改め現在にいたる。
 明治になり、先春園初代店主の荒堀源之助のもとで手代を務めた稲葉素貞は、慶応3年(1867)に源之助より事業を継承し2代目店主に就任。鴻池家や煎茶道家元の花月菴などの名家から出入りを許され、また、明治27年(1894)には陸軍糧食軍用茶納入業者に指定されるなど手堅く経営を拡大し、内平野町へと店舗を移している。茶の輸出も追い風となり、業績は順調に発展した。 続きを読む…

のれん紹介 菱富

【のれんの歴史】
 明治32年(1899)に料亭として創業。創業当初より鰻を提供していたが、初代の早川兼三郎氏は「どうせやるなら、珍しい江戸焼を」と、東京から蒲焼き職人を呼び寄せ勝負を賭けたとのこと。江戸焼は、腹を割いて蒸さずに焼く大阪に対して、背を割いて白焼きしてから一度蒸し、タレを付けてもう一度焼くといった具合に、さばき方など調理方法が異なり、柔らかくさっぱりとした味わいが特徴である。今でこそ江戸焼うなぎを提供するうなぎ料理店は多いが、当時は大変希少であった。以来、「江戸焼うなぎ」にこだわり、船場の旦那衆をはじめ役者・芸人など食通の舌を唸らせてきた。 続きを読む…

のれん紹介 大阪の駿河屋

【のれんの歴史】
大阪の駿河屋は、天保8年(1837)に京都・伏見の総本家駿河屋から分家し大阪淡路町に店舗を構えたのがはじまりである。
本家の総本家駿河屋は、寛正2年(1461)に岡本善右衛門が山城国伏見船戸庄で菓子製造業を創業したのが起源とされ、当初は屋号を「鶴屋」と称した。天正17年(1589)には、四代目・岡本善右衛門が紅羊羹を創案し、伏見羊羹と称して発売したとされる。文禄3年(1594)、豊臣秀吉の伏見城築城により諸大名が伏見に集まり、これら諸大名の交流により伏見名産の本の字饅頭や伏見羊羹が全国に広まることになる。
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のれん紹介 総本家小鯛雀鮨すし萬

【のれんの歴史】
すし萬の起源は、初代・河内屋長兵衛が承応2年(1653)頃に現在の中央区高麗橋4丁目付近で魚屋を開業したことにはじまる。のちに摂州西成郡上福島村の梅田橋付近(現、北区堂島3丁目)に雀鮨専門店「すし萬」を出店。なお、梅田橋付近は、花街である北の新地(曾根崎新地)の中心地として賑わっていた。また、江戸時代の前期に松江重頼によって編まれた俳諧論書『毛吹草(けふきぐさ)』には、約1000句の俳句・連歌とともに諸国の名産が列挙されているが、〈摂津〉の項目には福島村の名産として細木綿とともに雀鮨が紹介されている。さらに、雀鮨について「江鮒ナリ、腋ニ飯ヲ入タルガ雀ノゴトクフクルヽヲ以云之」とあり、「江鮒」すなわちボラの幼魚を用いた姿鮨のようなものが当時の福島村の名産としてすでに広く知られていたようである。現在でも、堂島川・土佐堀川にはボラの幼魚の大群が遡上している風景を目にすることができるが、当時、おそらく近くの堂島川などで獲れたボラを鮨にして花街の遊客などに提供していたのであろう。
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のれんメール

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 のれん令和6、10,11,12月号
●真白に 又真黒に 渡り鳥      梅 室(十 月)
●詣で来て 神有月の 大社かな    雨団子(十一月)
●風邪癒えて 髪艶やかに あげにけり 水汲女(十二月)
                    新歳時記より

●秋しぐれ 嵯峨野路歩き 青春(はる)想う   宣 子
●冬ざれや 春の賑わい 待ちかねて       宣 子
   

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