●行事と食文化

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◎三月  雛祭り
 三月に入ると、やっと春がきたのだと、気分がやわらぐ。なぜか心も浮きたつ。日本で一般に雛祭りが行われるようになったのは、明治以降だという。
                          
▲雛祭りに白酒が用いられるのが何故かと言えば、桃の花の赤色と、白酒の白色で、月と日を祀ったといい、また紅白でお目出度いと考えたのだろうといわれている。
▲雛あられは、乾飯(ほしいい・ご飯を水で洗って天日で干したもの)を炒ってつくる。以前は洗い流すご飯粒をとっておき、乾飯にして雛あられにしていた。女子は成人して結婚し、台所を預かる者としての心構えを、幼少の頃から、母から娘へと伝えられていたという。
▲菱餅の由来は、正月用のお供え餅から発し、古来、宮中では正月に供える餅は、下が丸餅で、上は菱形の餅を重ね、薬草を搗きこんであった。これを菱花びらと呼んでいた。上の菱形の餅が分かれて、雛祭りの菱餅となり、下の丸餅お正月用の鏡餅になったということである。薬草もだんだん変化して、紅・白・緑の三つ重ねになった。
                                          
◎春の餅菓子・菓子・団子
 草餅は雛祭りに供えられたりして、平安朝の昔を偲ばせてくれる。
              
▲椿餅  歴史は長く「源氏物語」や「宇津保物語」に<つばいもちひ>と言う名で出ている。当時は砂糖がなかったから甘葛(あまずら)という、つた草の汁を煮たものを用いた。ほんのりと甘い程度だったらしいが、貴重品で、貴族の間で好まれた高級菓子だった。
▲桜餅  江戸時代、享保年間に、向島長明寺境内で、山本新六なる人物が、売り出したのがはじめという。銚子から江戸へ出てきて、長命寺の門番として働いていた。その頃、八代将軍徳川吉宗が、隅田川の堤に植えた百本の桜のお陰で、花見客が増えて、塩漬けの桜の葉で、餅を包んで売ることを考えたのだという。
 曲亭馬琴は随筆「兎園小説」の中で、隅田の桜餅の繁盛ぶりを書いているくらいで、桜餅は、江戸名物に数えられるようになった。
▲うぐいす餅  うぐいすの形に似せた春らしい餅菓子として、親しまれている。
▲和菓子  原始時代の菓子は果実であり、「古事記」の時代になっても変わらず、大宝律令(701)年に唐菓子が渡来し日本でも、無糖の餅菓子を作り始めたといわれる。
 平安時代になって、団子、おこしが、つくられるようになった。甘さを抑え、見た目も美しく、風流菓子として、京都を中心に育てられ、茶道の広まりと共に茶菓子の時代が興り、優美な芸術的上菓子、京菓子が好まれた、
 技術の向上により。砂糖菓子が生まれ、干菓子と生菓子が茶道により発達した。
 一方、安土桃山時代にアメの製法が伝わり、駄菓子、アメ菓子が出来、庶民でも食べられる甘味の菓子の文化が広がった。
▲団子  春・秋のお彼岸に、団子は定番。団子のルーツは、中国から伝わった唐菓子。団喜(ダンキ)で、米の粉をこねて丸め、ゆでて甘味料をぬったもので、、今の団子とあまり変わらない。この団喜は、はじめ仏前のお供え用として使われていたので、現在でも、お彼岸には、お団子をお供えする。
 庶民にとって、団子はお腹にタシになる。いわゆる「花より団子」なので、日常的に団子をたべていたので、最も親しみ易いお菓子だったのである。
 江戸時代の中頃には、砂糖や醬油も使われ、名物団子も生まれた。「みたらし団子」や「きび団子」等がある。
                        
◎四月  新年度
 気持ちも新たにそれぞれが希望に燃えて、新鮮な気運が漲る月。旬のものを酒の肴に楽しむ時期でもある。この日の感激・感動を忘れずに、有意義な人生の出発の門出になることを願う。
▲魚島の桜鯛  
◎瀬戸内海に産卵の為にやってくる、マダイ・サワラ・マナガツオ等は身体が、鮮やかな色に染まり、味も脂がのりきって美味。
 殊に桜が咲く頃にピンク色に染まるマダイを桜ダイという。
 外海の魚が内海に入り込んで群がり、海面が小島のように盛り上がって見えるので魚島と呼ばれている。今はあまりしなくなったが、昔、大阪では魚島の季節になると、親しい人にマダイを贈るしきたりがあったと聞いている。待ちどうしい旬のものだったのである。
 国内産のマダイでも、養殖ものと、天然ものとがあるが、色や味は、国内産の一本釣りの天然ものが優れている。
 主な漁場は、瀬戸内海、和歌山、五島で、輸入物は技術も向上し、急速冷凍で鮮度は良い。養殖は、四国、山口、天草等々。
 天然ものでも若い魚は、鮮紅色と淡紫色の光沢があり優美で美味である。養殖ものは、浅い場所で育てる為、黒っぽく、紫外線の影響で日やけしている。
 天然ものが美味しいのは、深場ですむので水圧を受けて身が引き締まっているのと、エビやカニなどの甲殻類を食べる為で、近来は養殖ものにも、ズワイガニの甲羅を与えて、色と味を補強している。
                            
◎五月  ・端午の節句  ・母の日
▲ちまき・柏餅
 中国から伝わった<端午の節句>の風習は、日本でも平安時代に五月五日の節会に、ちまきを供えていたことが、記録に残されている。芦や菰など水辺の緑の草で粒のままの米を包み、蒸したものだったが、江戸時代になって、米を蒸し、搗いて餅にして、笹の葉で包んだ。
 柏餅の葉は、古代、食器として使われていた。柏餅が<端午の節句>として供えられるようになったのは、江戸時代万治年間(1658~60)以後のことである。

▲鯉
 中国の黄河の上流龍門のあたりは急流で、昇ってきた魚は昇りきれなくて死んでしまう。鯉だけが昇りきって、龍になるといわれていて、出世魚ということで、男子の出世を願って、祝い膳に鯉料理を出す。刺身(あらい)・鯉こくに料理する。
                           
▲カーネーション・母への感謝
 北米のある教会で、礼拝が終ろうした時、一人の女性が「亡き母の愛を偲び感謝しましょう」と信徒達にカーネーションを配った。1908年5月の第二日曜日だった。この運動が広まり、ウイルソン大統領は、1914年の合衆国会議に諮り、5月の第二日曜日を「母の日」に制定した。
 日本では、大正四年に紹介されたのが最初で、日本の「母の日」として第一回目の行事が催されたのは昭和24年(1949)五月十四日であった。
 母が在世であれば、赤色のカーネーションで感謝の心で接し、そうでない場合は、白いカーネーションで母を偲ぶ。しかし、何時のころからか、学校では、母のいない子どものことを考えて、それをしないようになった。と、聞いている。それもまた然りであろう。
                               
 普段は、母親は家族のことを優先し、家事に追われているので、せめて、<母の日>には、家族で、和気あいあいと、母の好物を料理して、揚げ膳・据え膳で、楽にさせてあげるとか、思い切って、高級レストランへ招待するとか、感謝の気持ちを伝えてはいかが? 最も感謝の気持ちはいつも忘れてはならないけれど、心新たにする日でもある。
                                   東 雲 宣 子