行事と食文化

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<一月>
 美しい四季に恵まれている我が国は、季節折々の<食材>を用いて、我が国独特の素晴らしい<食文化>が生まれ、発達してきた。
しかし、地球の温暖化により、今後、微妙に変化しつつあるといわれている昨今、改めて<食文化>について考えてみよう。
 時代とともに、変化し忘れられようとしているものにも、思いを馳せてみよう。

                               
●大福茶  元日の朝、若水にて縁起の良い福茶を飲む。大福(おおふく)とは、長寿にあやかるようにと、たっぷりそそいだお茶で、梅干し、身軽に動けるようにとサンショウの実、睦み喜びに通じる結び昆布に、黒豆を加えて、お茶を注いで服用する。
 茶道の流派によっては、うめぼし、サンショウの実、昆布を菓子に見立てて点茶をする。ここに、一年の食生活の始まりを祝う意味がある。
                                                  
●お屠蘇  延命長寿、邪気を祓う薬酒。年賀の客には一献だけにとどめ、あとは年酒をすすめる。そしてお雑煮、お節料理になる。
                                                   
●お雑煮  雑煮が出来たのは、室町時代で、初め「ほうぞう」(烹雑・保雑)と呼んだと伊勢貞丈が「貞丈雑記」に書き記している。
 鍋の中に色々のものを入れて、煮て食べる。
 雑煮を祝う時の箸は、日頃使っている箸は使わない。雑煮箸という大箸を箸袋(箸がみ)にさして、それに各自の名前を書いて、正月三が日使う。
 私ごとで恐縮だが、長じて箸袋に書くようにと母から言われた時、大人になったような気がしてとても嬉しく、一生懸命に書いたが、新年だから、新しいお箸で、御祝をするのだなと、単純に思っていたが、これにも謂われがあったのである。
 足利七代将軍義勝が、雑煮を祝った時、餅をはさんだ箸が折れた。正月早々不吉と気に病んでいたが、同年落馬して命を落した。以後、縁起をかついで太い箸を用いて折れないようにしたのが、始まりと伝えられている。
                         
●おせち料理 先号をご参照。
                                                          
●酒     先ず神棚にお神酒(おみき)を捧げて新年を祝い、今年の無病息災・家内安全を祈願する。そして、祝膳に着き乾杯をする。
 スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治に酒を使っているが、それは果実酒であったらしい。米で酒を造ったのは、コノハナサクヤヒメが、田稲で酒を醸した。これが、最初の酒とされている。古代、神代の昔から、大和民族と酒との関わりは、深いのである。
 酒の本名を「くし」と言っていた。果物や米が酒になるのが、不思議なことから「奇し」と呼び、百薬の長であるとして、「くし」と呼ばれていた。また「ささ」ともいわれていた。
 当「甘辛のれん会」の会員<菊正宗><大関><日本盛>の灘五郷の銘酒は、長年、信用と伝統のもとに、目出度いお酒の象徴として、信頼されている。いまでは、外国の方々にも好評で、人気を博している。
                               
●七草がゆ  中国の書に「正月七日を人日(じんじつ)とする。七種の菜を以って羹(あつもの)をつくる・・・」とある
 人日とは、元日の鶏から狛(犬)、羊、猪、牛、馬と続き、七日を人の日として祝ったのが起源とされている。
 セリ、ナズナ(ペンペン草)、(オ「ゴ」ギヨウ(ハハコ草)、ハコベラ、ホトケノザ{コオニタビラコ},スズナ(カブ)、スズシロ(大根)、が正式の七草。有色野菜が少ない冬に、栄養を補給しようとした先人の生活の智恵だろうといわれている。 
                             
●成人の日  8日。以前は15日にされていたが、本年は第二月曜日の8日に行われる。各自治体で式典が行われ、新成人はそれぞれの衣装に想いをこめて、家族の祝福を受けて、晴れの日を迎える。式典の後は、友人たちと二次会、三次会と楽しみが予定されているだろうが、成人の意味を考えて、責任ある社会人としての、記念すべき有意義な日として、お酒に飲まれることなく、美味しいお酒を飲んでいただきたいと願う。乾杯。                     
                               
●十日戎   七福神の中でも恵比寿の神様は、親しまれ、信仰されていて、特に漁業関係者や商家が初戎を祝う風習があった。関西では<エベッサン>と親しまれている。一般人の信仰も厚く、西宮戎・大阪の今宮戎・京都の建仁寺前の蛭子さんが有名だが、各氏神神社でも恵比寿様が祀られている所が多い。
 サザエは縁起の良い食べ物とされていて、数多い戎神社の参道とかで、ツボ焼きが売られている。
                                 
●鏡開き・蔵開き 11日。
                           
●小正月     15日。神棚、仏壇の正月飾りもの、門松、〆縄等もとりはらい氏神神社でお祓いをしていただき、雑煮で祝う。 

                       
<二月>                     
●節分    立春の前の日が節分。以前は、春夏秋冬の前の日が、それぞれの節分とされていたが、室町時代ごろから立春前日の節分だけが、重んじられるようになった。
 鬼が「鰯」の臭いを嫌がるということからヒイラギの枝に鰯の頭を玄関や門前にさしたりしたのは、良からぬことがおこらないようにとの思いからである。第二次大戦の、戦中戦後の頃から、食糧もままならず、何時の間にかこの風習もすたれていった。
 節分の日は、母から「福豆を炒りなさい」と、言われて、本心は余り気が進まなかったが、教えられるままにしたら、意外と面白く、「上手にできるね」と褒められてからは、私の受け持ちになってしまい、以後毎年私が豆炒りをしていた。
 「ホウロク鍋」に豆が重なり合わないように、少しずつ入れて、ほんの弱火でゆっくりとお箸でコロコロと豆をころがして、根気よくまぜる。箸を休めるとすぐに焦げるので、それは許されない。しかも、大人数の家族だったから、何度も繰り返す作業になる。こんがりと念いりに炒って、我れながら見ほれる程に、上手に炒れると、嬉しくなり、雑念を棄てて、豆炒りに専念したしたものであった。
                           
 炒った福豆を、家族それぞれの年に、一つ多く入れて「来年も福豆を無事に食べさせていただけますように」との願いを込めて、きれいな半紙に名前を書いて、神様にお供えする分と、各自食べる分と、同じものを、二つつくる。そして「豆まき」用の豆を、新しい<ざる>に入れておき、残りはお祝いをした後に、自由に食べてよいように別の器に入れておく。ここまでしたら、他のお手伝いはしなくてもよいということになっていた。
 お祝い膳は先ず「鰯」が出る。「どんなに貧しくなっても、せめて、「尾頭つきの魚が食べられますように」との願いがこめられているという説もあったが、いまでは、「鰯」が高値になっていたりして、食べないこともある。時代が変われば、変わるものである。
 大人たちは酒・肴に興じ、子どもたちも、御馳走に喜び、後は氏神様に参拝して「福豆」を奉納し、<豆まき>をする。最近はスーパー等で、出来上がった豆が売っているので、炒ったりする必要がなくなって、あの懐かしい豆を炒っていた時の匂いも忘れている
                            
戦後になって、新しく「海苔巻き寿司」をその年の<恵方>に向かって、無言で<丸かじり>をすると、その年は幸運に恵まれるということで、お寿司関係の業者は、大忙しであるが、これも定着してきて毎年テレビで放映されている。
                                    東 雲 宣 子