●老舗と私

f8a45e48f48abd0132b542bd5b5b7899★大阪の駿河屋  練羊羹
  和菓子 それは日本人の 心のふるさと 春・夏・秋・冬
     自然の恵みを喜び しみじみと 季節の移ろいを味わう
 和菓子の中でも、とりわけ羊羹の老舗<大阪の駿河屋>の歴史は古い。
○寛正2年 (1461)岡本善衛門が京都伏見で創業。
〇天正17年(1589)四代目岡本善衛門が羊羹を創業。豊臣秀吉の北野茶会に用いられる。
○慶長14年(1609)五代目岡本善衛門が紀州公の要請により、和歌山店を開く。
○貞亭2年 (1665)紀州光貞公より駿河屋の屋号を賜る。
○天保8年 (1837)12代目岡本善衛門の三男善三郎が大阪店を開く。大阪城に御用菓子司として創業した。
 気の遠くなりそうな連綿たる歴史の中で、作り続けてきた羊羹は、先人の製法を今に受け継ぎ、その時代の顧客のニーズにあった味覚を創造しながら、弛まぬ努力を続けてきたのである。
                                
*富士鶴
 取材に訪れた際に先代の奥様から、試食用に戴いた練羊羹の<富士鶴>の味は、未だに忘れていない。
 最高の材料で仕上げたといわれるだけあって、一口、口にしただけで、口中に広がる重厚な上品な格別な味わいは、全ての羊羹との違いがはっきりと解ったのである。食品の芸術品と言われる由縁である。<美味なるものを食べた喜び>とでも表現したくなる。
                                        
*練羊羹
 伝統の製法で練り上げた、美しい紅羊羹で、私が子どもの頃から一番美味しいと親しんでいた、<大阪の駿河屋>の紅い羊羹である。と言っても、常時食べさせてもらえなかったが、なにか特別な日に、母が用意してくれたことを懐かしく思い出す。
                                 
*夜の梅  *挽茶羊羹  *栗羊羹 等の箱詰めを、お土産に持って来てくれる叔母がいて、詰め合わせの中身は代わっても、何時も<大阪の駿河屋>の品に決めているのである。私達姉妹は<羊羹の叔母さん>と呼んでいて、わが家へ来てくれるのを心待ちにしていたものである。
                                     
 大阪船場の淡路町より、その後瓦町へ移転し、羊羹以外に生菓子、干菓子の製造をはじめ、平野町に移ってからも更なる進化を続け、現在の甘さを抑える、時代のニーズに応え、見た目にも美しい新製品は、古くからの顧客はもとより、女性を主とした、年齢もこれまでの、中・高年層から、若年層にも人気が広まっているということだ。    
                                       梶 康子