★お正月の食べ物

1403965_s 各家庭で、お正月料理を作る家庭が段々少なくなってきて、反対に上は高級料亭から色々な料理屋、スーパー等が早くから予約をとっている。最初は百貨店が広いスペースをとり10月ごろから予約を受け付け始めた。初めの頃は昔人間の私にとって、嘆かわしいと思った時もあったが、今は慣れてしまって、「そろそろ暮れの準備をしなくては・・・」と思うようになってしまっている。

 そもそも一年中忙しく働く主婦をせめて三日間休ませてあげようということからお節料理を作るようになったという説もあるようだが、主婦は、三日間休むために早くから食材を買い求め、煮たり、焼いたり、味付け、酢の物、重箱詰め、お雑煮の下ごしらえ、ぁづきご飯の小豆の支度、大晦日の鐘の音を聞く頃にはぐったりとなっている。
 考えようによっては、出来あいのお節料理のお陰で、三日間ゆっくり出来て主婦にとって、「佳いお正月」と言えるのかも知れない。
 新年を寿ぐということは、年中行事の中でも、大切な、民族的な行事になっている。新しい気持ちで、新年を迎え、心に何かを秘めて、謙虚な心で正月を祝福する。これが食事にも表現されるようになり、お節料理という儀式料理が伴い、お屠蘇で祝いお雑煮で祝う。
                                               
 お節料理のおせちというのは、節会(せちえ)料理のことで、昔は五節句があった。
 ●人日(じんじつ)1月7日●上巳(じょうし)3月3日」●端午(たんご)5月5日
 ●七夕(たなばた)7月7日●重陽(ちょうよう)9月9日 のことで、時代の移り変わりのうちに、正月料理だけが、お節料理と呼ばれるようになった。
                                  
 ★お雑煮のできたのは室町時代で、初めは鍋の中に色々なものを、ごたごた煮ていたのが、いつの間にか、雑煮椀という、つゆものになってしまった。徳川家光の時代の「料理物語」の中に味噌仕立てと清汁仕立てのことが書かれており、関東は清汁仕立てで、関西は白味噌仕立てで、所により元日は白味噌で、二日は清汁仕立てと使い分けている所もあるらしい。
                                 
 ★祝い酒  酒は上古の昔からあり、人間と酒の歴史の深さが偲ばれる。スサノオノミコトが、ヤマタノオロチ退治に酒を使っているが、恐らく果実酒であったと思われる。米で造った酒の最初は、コノハナサクヤヒメだったと言われる。多くの変遷を経て。今日に至っている。
                             
 ★甘辛のれん会加盟店の菊正宗酒造株式会社・大関株式会社・日本盛株式会社のお酒は、伝統の技に時代のニーズに応える弛まぬ研究により、好評を得ている。 
                                    東 雲 宣 子