●老舗と私

WS000001★株式会社小鯛雀鮨鮨萬 
 承応2年(1653)大阪船場にて、初代萬助が魚屋を開業し、副業に江鮒の雀鮨を商い、約368年の永きに亘り、伝統を培い<のれん>を守ってきた。
 天明元年(1781)京都の御所へ献じることになり、八代目萬助が、小鯛雀鮨を調達し、好評を得たので、以後雀鮨の専門店となり、御用御鮨師を世襲している。
  

 私が、若かりし頃、ある会社に勤めていた時、東京の本社から社長はじめ重役の方々が、来られた時は、必ずお土産として、鮨萬の雀鮨を持って帰られた。それを買い求めにいくのが、女子社員で、私も時々行っていた。
 その頃、東区の筋違橋(すじかいばし)に本店があり、最初に行ったときは、先ず重厚な大きなのれんに驚いた。店の構えも気楽に入れるお寿司屋さんと全然違い、どっしり落ち着いた雰囲気があった。私は、その風格のある雰囲気がとても気に入り、以後、鮨萬行きは、進んでかって出て、楽しみながら役目を果たした。
                                      
 そんなある日、はじめて鮨萬の雀鮨を食べる機会がやってきた。得意先の方から、皆さんにと、鮨萬の小鯛雀鮨を戴いた。「女子社員で戴きなさい」とお許しが出て、一切れずつ戴いたが、もうそれは、言葉で表現できないくらい、の美味しさの感動であった。
 東京の本社の方々が、お土産に持って帰られるのが、やっと理解出来た。東京にはない大阪でもたった一つのお鮨だったのである。
 老舗の重みがどっしりと詰まった、身体の中まで浸み込んでくるような重量感とでもいい得ようか。あの筋違橋の本店の醸し出す雰囲気の味なのだ。一口、一口丁寧に味わって戴いたのが、忘れられない。
 今でも簡単に食べられるわけでもないが、やたら食べて見たくなった時、結婚してからも、百貨店でなく、わざわざ筋違橋まで求めに行った。そんなに好きだった本店も建物が年を経て、ついに西区靭本町に新築移転された。青春の一齣の想い出の惜別感無量である。
 まろやかなハリのある、卓越したすしご飯は、他者にマネのしようのない創意と工夫がこらされている。小鯛雀鮨の材料は明石鯛の一本釣り。二歳ものと吟味された醸造酢で醸し出される。
                                
 全体を包んでいる昆布は北海道尻岸内産で、昔ながらの伝統が今日の美味しさに至っている。鮨萬の製法の理念は、常に味の創造にあるという。秘伝・家伝にその時代の味を先取りし、絶えず新しい味づくりをし、今日まで、時代の食文化を支えてきた。伝統だけに頼らない<老舗>の本来の姿である。                  
                                      梶 康子