老舗と私 ●あみだ池・大黒  <粟おこし>

WS000004 <おこし>は、奈良時代に豊作祈願のお供え物として神に捧げられたのが始まりという歴史のあるお菓子。
江戸時代、当時の大阪は、各地の産物が集まる<天下の台所>といわれていた。千石船によって運ばれてきた良質の米に目をつけて<おこし>を作りはじめたのが、文化2年(1805)のことである。
                                                              
 なぜ、【岩おこし】というのですか? とお尋ねしたことがあるが、運河工事などで、あちこちから出てくる<岩>にたとえ、浪花の繁栄を象徴する意味が込められているということで、納得した。大阪名物として、広く土産物としても、愛され、親しまれている。
                                  
 子どもの頃から親しんできた<岩おこし>は、私にとって、いつも手元にあるという感じで、結婚してからも気軽に友人達にも差し上げることが出来るので、序でにわが家にもと余分に用意しておけば来客の際にも、とても重宝するので置いておけば、いつの間にかなくなっていて驚くこともよくあった。来客よりも家族のものが、よく食べたりしていたこともあった。
                                    
 初めて差し上げる際には、<おこし>の由来から、日露戦争の時に明治天皇より戴いた「菊の御紋章入り恩賜のおこし」を大量のご注文をはじめ、代々宮内庁のご用達として、伝統と技術で大阪土産の老舗の<岩おこし>であることを、お話しすることにしている。
                                        
 どうして講釈づけで、そんなことを言うのかというと、いつか、私の差し上げた<岩おこし>が美味しかったので、その方は、わざわざ、買いに行かれたのだが、私からの<岩おこし>と違う味だった、ということを後で聞いたものだから、他のお店の包装紙と似ていたから紛らわしかったのだろう。もう一度<岩おこし>を持参したら恐縮しながらも、とても喜んでいただいたことがあったからである。
                                            
 高齢者にとってすこし硬いイメージがあると、申し上げたことがあったが、以前より研究され、早くから、若者むけ、年配者むけの<おこし>をつくり、好評を戴いているということであった。
伝統を守り、豊かな自然の恵みをいかした<あみだ池・大黒>の製品は、心のこもった豊かさを与えてくれる現代の「お菓子」である。                    梶 康子