旬のもの  素麺(そうめん)

そうめん
 昭和が終わり平成も30年になっても、八月になると、思いだしたくもないが、どうしても忘れられないのが、八月十五日である、。決して忘れてはならない日である。
 壊れかけたラジオから、ほとんど雑音の中から聞いた、昭和天皇の終戦を知らせる玉音放送は、子ども心に何か異常なものを感じ胸騒ぎがしていた。母もわからぬながら、時々聞き取れるお言葉から終戦を察知し母子で泣いた。もう少し早く終戦になっていてくれたら、父を戦死させなくてすんだのにと、声をあげて泣いた。同じ思いの遺族の皆様も多く居られたことであろう。

 戦災で最愛の家族を失われた人々、広島、長崎の原爆の被災者、沖縄で戦った方達。誰もが痛恨の思いでその日を迎えられたことだろう。戦争のない今、この平和を大切にすると共に、戦争犠牲者の冥福を節に祈りたい。

 毎年、夏になると、家の庭に芙蓉の花が咲き競う。疎開した時にその花を見た時に、花容といい、花色といい、清楚な中にも気高い品位を感じ、可愛い色にも関わらず、どういうわけか、胸に切ない<ものの憐れ>を思わせた、不思議な出会いであった。疎開先での不遇な生活を随分慰めてくれたものである。
 芙蓉はアオイ科フヨウ属で、全面に白色の星状毛が密生し長い葉柄の先に、浅くおおぶりの葉をつけ葉脈から長い花柄を出し大輪の美しい花をつける。淡紅色の一重咲きが基本で、白花一重咲き、白花八重咲き、紅花八重咲きなどがある。何れも一日花で朝咲いて夕べには萎む。
 蕾がだんだん大きくなり、ある朝、パアツと開いている。朝日を浴びてそれは美しい、前日に咲いたのは、今朝はもう咲かない。たった一日のために一生県命に咲いて、あとは暑さ寒さに耐え、春に新芽を出し、大輪を咲かせる為に、エネルギーを蓄えようとする姿は、何ともいじらしい。
 終戦の日、私は自分の好きな芙蓉の花を仏壇に供え、父の霊に終戦の報告をした。

 母を亡くした年も、芙蓉の花が咲いていた。悲しみに沈む私の為に、長女は冷えた素麺をすすめてくれた。素麺出し汁は、母から私に、そして娘へと受け継がれてきたわが家の味なのである。急なことだったので、具は錦糸玉子と、トマト、キュウリ、キザミネギだが、窓ごしに芙蓉の花を見つめながら口にした素麺の味は忘れられない。娘の優しい心がじいんと伝わってきて、また涙が溢れて止まらなかった。私は心の中で母に云った
「お母さん。お母さんの味は私達の間でずうっと受け継がれて、時々お母さんのこと思い出すからね」

 
 私にとって、芙蓉の花と素麺はしっかりと結びついているのである。 
                                  葛 城 陽 子