食文化とルーツ  ●塩

塩 人間の身体には塩分は、絶対に必要であり、塩分が欠乏すると危険が生じる。そのために人体が必要とする、五味のうちで、塩味は<命の味>ともいわれている。
 塩はナトリュームで、人間は勿論獣類にあっても、細胞内にあるカリュームとナトリュームの平衡状態を保つことで、身体全体の水分をコントロールしている。人間はこの重要な塩分を食塩や動物の肉、血液からとっている。一般家庭においては、味噌、醬油、漬物魚介、麺類、その他諸般の調理に使用し、塩分を摂取している。

 日本では、弥生時代に農耕民族になってから、米を中心とした食生活になった為塩に対する要求が高まってきた。欠かせない命の糧だったのである。海に囲まれているが、岩塩の出ない日本は、どうして塩分をとっていたかというと、海水塩をとっていた。海藻を浜に積んで海水を注ぎ、太陽熱で乾かし、焼いて、後に残る塩を取る方法が長く行われていた。いわゆる「潮汲み」をして「藻塩を焼く」わけである。日本人形の代表作のうちに数えられる「潮汲み」のような美しいものでなく、「安寿と厨子王」の物語のような重労働なのであった。
              
 万葉集の巻六に  「朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ」  とあるように藻塩を焼く製塩法が行われていた。さらに鎌倉時代に入り、(藤原定家 新勅撰集)  「こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の みもこかれつつ」  とあり、これは百人一首にも選ばれていて、子どものころは、意味も解らずにカルタを取っていたが、藻塩を焼く火と煙りは、美の対象にまでなっていたのであろうか。
                
 やがて、効率の悪い藻塩焼きの製塩法より、塩田法が発達し、広い塩田に海水を入れ、天日で、海水を濃縮し、濃くなった塩水を蒸発器に入れて、いわゆる加熱製塩法で、この製塩法は改良されながら、続けられてきた。

 人命を左右する塩である以上、塩を制する者が人を制するようになり。、平安時代に、春秋二回、役人にボーナスのように、塩が与えられ、階級によって塩の分量も違っていた。
 塩が最も重要だったのは、日本だけではなく、世界どこでも同じで、古代、ローマ時代、兵士は給料の一部を塩<サール>で支払われていたという。月給のことをサラリーというのは、どうやらこのことからきているらしい。ということだ。
 しかし、最近は、塩の摂り過ぎによる弊害も出てきていて、減塩云々の問題もあるが、塩と仲良く付き合って健康でいたいものである。
                                  葛 城 陽 子