小鯛雀鮨すし萬<鮨屋萬助・阿倍野歩道橋>
<すし萬>と私との関わりは、若き日の娘時代に遡る。就職した会社の社長や重役の方々が、本社から大阪支社へ来られたときは、必ず<小鯛雀鮨Ⓡ>を、お土産にするのが、慣わしだった。当時は、阪神マート(現在の阪神百貨店)と、大阪横堀筋違橋(すじかいばし)の本店でしか売っていなかったと記憶している。
余ほど美味しい物に違いない、女子社員でお金を出し合って、一切れずつ食味したことがあったが、その美味しさに一同驚嘆したものである。最高級のすし米を丁寧に炊き上げ、まろやかなハリのあるすしご飯は、他者に真似のしようのない創意と工夫を思わせる。明石鯛、吟味された醸造酢、全体を包んでいる昆布は、北海道産の選りすぐり、一度食べたら忘れられない美味しさだった。
次に食べたのは、長男を身ごもった時、激しい悪阻に苦しむのを見かねて、夫が、わざわざ筋違橋の<すし萬>へ行き<小鯛雀鮨Ⓡ>を買ってきてくれた。その時は一切れでなく思いっ切り、満腹するまで食べた。夫の優しさと雀鮨の美味しさに幸せを感じた。
1986年4月19日<すし萬>創立333年。加えて当主小倉宏之33歳の記念パーテイーが催された。「3」という数字は、中国では縁起の良い数字として尊ばれる。まして「3」の字がこれだけ並び、これほど目出度いことはない。
当日は当主自ら四条流の包丁式を行い、招待客を歓迎した。古来、賓客をもてなすのに、先ず俎板を客の前に持ち出して、主人もしくは料理に堪能なる者が板前に座し、右手に包丁を執り、左手に魚箸(まなばし)を持って、実際の調理法を示すのを包丁式と称して、最高の饗応とした。四条真蔭流家元和木包権(わぎ・ほうけん)師の解説もあり、厳粛な雰囲気の中にも、目のあたりに包丁式なるものを、始めて見たがよく理解できて、とても印象的であった。
文武天皇の12(708)年、小錦上国益に、姓高橋朝臣を賜わり、上古の料理法を伝えて代々供御のことを掌らせたのが、本朝御食(みけ)料理人の長(おさ)高橋氏が祖であるが、下って、光孝天皇が四条大納言山陰に命じて、新式を定めたので、後世この山陰を以って本朝料理人の祖となし、その流を四条流という。
大阪市阿倍野に日本一高い、高層建築物<アベノハルカス>が、今年3月にオープンしたが、JR天王寺駅、再開発された建物などを結ぶ交差点に洒落た歩道橋が、架け替えられたが、<すし萬>が、費用の一部を負担している。大阪で商売している感謝の思いがあり、いかにも大阪商人らしい心意気。通行人には気付かないが、橋の横側に、<鮨屋萬助・阿倍野歩道橋>と刻まれている。 梶 康子