老舗と私<美々卯>うどんすき

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 学校を卒業して、初めて社会人として就職した時、新入社員の歓迎会をしていただいた。
そこが、<美々卯>の本町の本店だった。先輩社員に囲まれて学生時代に経験したことのない雰囲気の宴席は、一人前の大人になったような誇らしい気持ちになった。生まれて初めて口にした<うどんすき>は、現代の学生と違って、それまで学生時代に、外食をしたことが殆どなかった私にとって、世の中に、こんな美味しい<うどん>があったのか と、その時の感激は、いつまでも新鮮に脳裏に焼き付いている。

 うどんを煮てものびない、お出汁がにごらないのにも、先ず驚き、季節によって少しは変わるが、十数種類の野菜やハマグリ、貝柱、わかめ、生きた海老等。どの具材も一品一品に心がこもっていて、身体の芯まで暖まる上に、心まで暖まる。
 
 その間、折々の懇親会や、忘年会も度々<美々卯>であり、結婚の為の寿退職の送別会も<美々卯>から送り出された。<美々卯>本店の、心の故郷を思わせる、しっとりとした懐かしい佇まいと、玄関先のあの敷石は、いわば、私の<青春の足あと>が、刻み込まれているような気がしている。
 <美々卯>本店が、改築されるとの話を聞いた時、あの懐かしい雰囲気の玄関と、お別れかと内心寂しい想いをしていたが、新築なった建物の玄関に、残されていたのを知り、ホットし、我が青春が、再び蘇ったようで、とても嬉しかったのを今も覚えている。
 
 昭和58年6月に<のれん>誌創刊時より、執筆・編集されていた故大久保恒治氏が亡くなられた後、後任者を誰にするかということになった時、当時、甘辛のれん会代表幹事だった<美々卯>薩摩卯一氏が、某新聞に投稿した私の原稿が、複数記載されたことや、大久保氏の<のれん>の校正をしていた関係で、甘辛のれん会の事情に通じていることもあって、他の幹事さんと相談して、梶康子が適任だろうと決定していただいた。これは、ある意味では、私の一生のなかで、私を変えたともいえる大きな出来事であったといえる。。薩摩卯一氏には、色々と教えられご指導いただいたし、多くの人を紹介して下さった。そして今も暖かく見守っていて下さる。感謝の気持ちを大切に、忘れずにしたい。
 
 甘辛のれん会の皆様は、取材に訪れる私に、好意を以って接して下され、おかげさまで、今日まで続けられてきた。しっかりと私に培われたのは、食品に関する知識と共に、短時日では到底醸し出し得ない、老舗の重みと風格である。「老舗とは何ぞや」今後、この課題に深く、取り組んでいきたいと思っている。        梶 康子