老舗と私<長崎堂>カステーラ

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 今年に入って二度も風邪を引いてしまい<鬼の撹乱>などとひやかされたりしながら、インフルエンザにならなかったから良かったのだと思い、毎日の寒さを良いことに、大人しく臥せる日が続いた。
ぼんやりと天井を眺めていると、最近末弟を亡くしたこともあって、<越し方行く末>に想いがゆく。七人いた兄弟も三人になってしまい寂しかったのだろう。昔のことが思われてならない。

 幼い頃、風邪で寝ていると、可愛がっていてくれていた近所のおばさんが、長崎堂のカステーラを持ってお見舞いに来てくれた。「とうはん(お嬢さん)このカステラを食べると風邪ひきなんかいっぺんに治りますよ。このカステラは、日本一美味しいカステラですよ。滋養もあるしね。」その頃、カステーラは高級な貴重品で、滅多に口にすることはなかった。私たちは、カステーラのことをカステラと言っていた。私は、風邪を引いたら、何時のころからか、そのおばさんが、カステラを持ってきてくれるのを期待するようになっていた。
 
 他の兄弟たちは、何も貰っていないのに、何故私だけなのか。随分と嫉まれたが、母に言わせれば、亡くなったお子さんと私と雰囲気が、とてもよく似ているそうだ。おばさんが帰ったら、兄弟たちは、膝を揃えて母がカステラを切る手元をじっと見つめているが、母は大小の差がなく、同じ大きさに切って皆を納得させていた。多めに切ったカステラを、「あなたがいただいたカステラだから、たくさんお食べ」と後から食べさせてくれた。
 その後、おばさんは、風邪ひきがもとで余病が併発し亡くなられた。<ひと>の死を初めて認識した私は、幼い心に<死>について深く刻み込まれた為、暫く元気がなかった。

「風邪の具合は、どう?」と部屋を覗いてくれた孫に、大学からの帰途に、あべのハルカスに寄って長崎堂のカステーラを買ってきてくれるように依頼した。
 完成すれば<三月全オープン>、日本一高いビルになるということだが、長崎堂が、出店したおかげで、本店や、他の売店へ行かなくともすむので、随分重宝している。
 
 文学少女だった(梶康子の思いこみ)本店の大奥様とは、よく話があい、ご多忙の中を会って下さっているのだから、早く失礼せねば、と思いながらもつい話が弾んで、なかなか席を辞しがたい。暖かい人格が、私を包み込んでくれているような、幸せを感じさせてくれる。老舗の大奥様としての行き届いた所作の、ひとつひとつに、お客様への感謝、思いやり、おもてなしの心、従業員への優しい心配りが、長崎堂の風格・重厚な雰囲気を醸しだし、あの心地よい親しみが居心地よくするのだろう。それは、まさしく永年培われてきた老舗の本筋なのである。                      梶 康子