すき焼き

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知人の三姉妹が、四方山話の末に美味しい「すき焼き」を食べに行こうということになった。何処に行ったら良いか、と相談されたので「すき焼きというものは、おうちで食べるものだと思うけど、どうして、わざわざ外食するの?」といぶかる私に、知人は、こう答えた。

長姉は、「夫と二人暮らしで、僅かしか食べないのに、食材を多種類も仕入れたら後が大変で、料理種類を変えたところで、同じようなものを毎日食べているような気がしてつい、いつの間にか「すき焼き」をしなくなった」という。
次姉は、「夫を亡くしてからは、一人暮らしで、やはり小さなお鍋にすき焼きのマネごとみたいなことはするが、本格的なすき焼きらしいすき焼きは、久しく食べていない」という。
知人は勤めているので帰りの遅い夜もあり、一人で食事をすることが多く、息子夫婦や孫達と同居していても帰りの遅い日は、お嫁さんが、小さいお鍋に一人前をちゃんと用意をしておいてくれる」らしい。
「子どもの頃大家族で、すき焼きを食べていた頃は、一生懸命お肉を取り合いし、なぜか、イトコンニャクを探し、活気に満ちた食卓の雰囲気は、もはやなくなって、いつも物足りない。」と言う。
 それで、盛大に「すき焼き」を食べに行こう。となった。そして私も仲間に入れてもらうことになった。
「料理談合集」には<鋤焼>の題目に、「雁・鴨・カモシカの類を作り、豆油(たまり)に浸け置き、古く使った、カラスキを火の上で焼き、柚子の輪切りを後先において、鋤の上に肉類を焼くなり、色変るほどにて食してよし。」とある、
 古来竈神(かまどがみ)の戒めとして、家畜の肉を忌避した日本人が、初めて肉を知ったのは、キリスト教の伝来以降と伝えられ、室町末期から江戸初期までは、かなり肉食が流行したらしい。その後、宗門の禁制と共に牛肉食は自然に停止されて、調理法は野性の鳥獣肉に応用された。
 江戸末期から信教自由の明治になって急速に肉食が盛んになっても、地方では、因習からなお避ける者が多く、たまたま食べたいと思っても日頃使用の鍋は使わず、耕作用の鍬、鍬を利用して納屋または野外などでひそかに食べたと言う。
 すき焼きの名は、鍬で焼いたからで、その名がついたということや、肉をウスきりにするスキ身にして焼くことからという説もある。すき焼きほど千差万別の味つけがあるのには、驚かされる。醤油、砂糖、みりんなどを好きなものを好きなだけ使い、それぞれが、自分の味というものを持っているだけに、同じ材料を使用しながら、こんなに味が違うものかと、自分の味と全く違うスキ焼きに面食らうときもある。あまり<我>の強い<自分の味>にこだわる人とは、会食しないのが無難と思う。  
東 雲 宣 子