老舗物語 ― 正弁丹吾亭

200801_03.jpg 大阪の味 ここにあり

 明治・大正年間、法善寺境内並びに小路は、東に花月、西に紅梅亭と、寄席小屋を中心に、一杯飲み屋、料理屋、汁粉屋等が軒を連ねて立ち並び、大阪庶民の憩いの場として賑わっていた。

 昭和になって織田作之助の<夫婦善哉>によって、それまで極楽小路と称していたのが法善寺横丁となり、また長谷川幸延作<法善寺横丁>によっても紹介され、いつのまにか、法善寺横丁といわれるようになった。

 正弁丹吾亭は、明治26年に極楽小路の南西角に関東煮(かんとだき)を看板にしたのがはじまりである。

 終戦直後に法善寺本堂は全焼し、その後現在の場所に移った。入口に織田作之助の

  『生き暮れて ここは思案の善哉かな』

の碑がある。

 庶民の店として終始一貫し、それでいて料理そのものは格調高く、味は「これしかない」という美味しさで客を満足させる。料理人の心意気がそうさせているのだ。店内は、客の満ち足りた熱気がエネルギーとなって、お互いに話し、そして笑い、素晴らしい雰囲気に溢れている。

 「さしみと、吸い物の美味い店は何を食べても美味い。」とか。又、料理人の腕がわかるというが、まさに名言である。新鮮さはいうに及ばず、包丁さばきもさすがで、見事なものである。
 一品料理と季節のものを用意している。

  梶 康子