60周7・8・9月号
●すし萬 雀鮨
承応二年(1653)浪速・大阪七郎左衛門町にて、初代萬助が魚屋を開業した。副業に江鮒の雀鮨を商っていた。
天明二年(1781)京都の禁裏へ献じることになり、八代萬助が小鯛雀鮨を調進し、好評を得たので、雀鮨の専門店となり、以来、御用御鮨師を世襲している。
★すしの生命はお米。
<飯に六分の味>といわれるくらいで、最高級の米を仕入れている。<すし萬>独特の、まろやかな、ハリのあるすしご飯は、他のすしには見られない。類似品も出てこない卓越した、<すしご飯>は、他者に真似しようのない、創意と工夫がなされているからである。
実際に、初めて口にした時、私も例えようもないくらいに美味しかったのを、今も鮮明に覚えている。 続きを読む…
食べころ
どんな食べ物でも<食べころ>というものがある。
冷やして食べて美味しいものは、箸をつける寸前まで冷やしておく。熱いものは、器まで暖めておく。だからいったん食卓に並べてしまってから、「今、食べたくないから後にする」なんて言おうものなら、母はひどく落胆したものだ。「食べころだったのに」と嘆く。そんな母に押しつけがましさを感じたこともあったが、料理をする立場になってみて、初めてその気持ちが理解できた。
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記念号
創刊当初よりの<のれん>誌の変遷について
甘辛のれん会が設立されて60年を経ましたが、その間にも保管されていた、<のれん>誌が、大阪を襲った台風とか、水びたしの災害等により貴重なバックナンバーが欠落しておりました。私が、<のれん>の編集を承った際に、美々卯の薩摩卯一様のご協力で、お手持ちの<のれん>をご提供いただきコピーさせていただきました。
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老舗物語 小鯛雀鮨 すし萬
すし萬は、承応2年(1653)初代萬助が、魚屋を開業し、副業として雀鮨を営んできた。
天明元年(1781)京都の御所へ献じることがあり、西宮沖の小鯛を用いて雀鮨を作り評判を得、白河御殿御鮨師となり爾来世襲し、この折小鯛雀鮨を創業し、雀鮨専門店となり、ことさらに、総本家小鯛雀鮨と称する。
以後、初代萬助より数えて349年、その間変革を経ながら、伝統を守りながら、今日に至る。
平成22年8月、重厚、格式を誇り、老舗の代表的な筋違橋の本店は、老朽化により西靭本町に移転している。
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季節の真味 ハモ つの字ハモ
昔から京都の祇園祭、大阪の天神祭が近くなると、ハモ、タコ、アジ、サバ等の消費量がハネ上るといわれていた。特に祇園祭は<ハモの祭り>といわれている。
幼い頃、天神さん(大阪の人は天神祭りのことをそう呼んでいた)の夕方になる頃馴染みの魚やさんが、盤台にタコやハモ、その他魚介類を入れてやって来て目の前で刺身につくったり、ハモの骨切りをしたり、巧みな包丁さばきに、いつも見とれていたのを思い出す。
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60周年記念号6,7,8,9月号
★ 花菖蒲「のれん」の傍で咲き誇り (六 月)
★ お中元いつも変らじ「のれん」の品 (七 月)
★ 草刈って墓前で直う(なおらい)しばしの憩い (八 月)
★ あらうれし引出物<結婚式>は「のれん」の品 (九 月)
上記の「のれん」とは、甘辛のれん会加盟の老舗の「のれん」または老舗自体をさす。
す子「のれん」歳時記より。
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