2018年秋・冬号

のれんメール

img9_illust05●秋もはや岩に時雨れて初紅葉    許 六<十 月>
●大吉のみくじ給はる留守の神    ちかし<十一月>
●初雪の樽前威儀を正しけり     繁 男<十二月>
 
                    新歳時記より

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☆酢のはなし

WS000001★古代の酢           
中国では、起源前の1299年頃につくられ「周礼」の天官膳夫のくだりに天子の御膳を
司るものとして、酒の係、塩の係それに酢の係がおかれていたことが、記されている。中国では「す」は古くから使われ、今に至っている。
酢の技術が我が応仁天皇の時代に和泉<いずみ>今の大阪府堺市に伝えられて、「いずみず」と呼ばれていた。江戸時代に相模の中原、駿河の善徳寺、尾張の半田などに伝えられていった。
とりいれた稲をそのままコシキに入れて蒸し、それを乾燥して臼で挽き、モミガラをフルイでわけて白米をつくる。この白米一升をややコワイめに炊き上げ、仕込みに用意されたカメの底、カクズミ一本と、テツクギ一本を束ねていれておき、その上に、あったかな飯を入れ、押さえつけておき、コウジ六升を加えて、厚い紙で内ブタをし、更に、木の外ブタをし、柿シブを塗った紙で目ばりをしてしまう。
そのまま温暖な日を、七、八日過ごすと、内容は酸っぱくなり、そのまま三、四ケ月放置して、春の頃フタを開けて、濁った液を布で濾し、オリのすむのを待って、一、二回弱火で煮て、涼しい室内に保存して、仕込みから、およそ一年で「いずみず」が出来上がる。つまり米で酢をつくるのでコメズ「米酢」であう。
                     
★酒の粕の酢 
清酒からは、酒のカスができ、これでカス酢をつくる。酒のカスにはアルコールが含まれていて、これを二、三年貯蔵しておくと、アルコール分をはじめ、役に立つ成分がふえる。アメ色に熟成したカスを槽にとり、一定量の水を加えて、よく混和させる。十日間アルコール発酵をさせ、袋につめて、濾して、あたためて、タネ酢を加えて、仕込みオケに入れ、保温して、三週間酢酸発酵させる。
●酒酢・アルコール酢
 ★清酒のモロミのウワズミ液に一、二倍の水を加え、アルコールの量を5%~8%にうすめ、原料酒液の一割~五割のタネ酢を混ぜ、保温し、撹拌し、二、四週間酢酸発酵させ、熟成、仕上げる。
 ★アルコール酢は、90~95%のアルコールを原料にし、10倍~18倍にうすめ、甘酒、あめ、酒のカス、タネ酢を混ぜ、保温、撹拌、熟成、仕上げる。
 ★ワインビネガーは、ブドウ酒からつくられている。原理は酒酢と同じ。
 ★シャンツオは、中国の酢で、香辛料のきいた酢。
●加工された酢 ★スシ酢。★ポン酢。★果実酢など多種多様あり、スーパーでは、数えきれない多くの品が並んでおり、そのいくつかが食卓を賑わせている。
▲酸っぱさを感じるのは、人それぞれ違い、その日によっても、まちまちである。
                                    (編 集 部)

●お正月の準備

WS000002★煮〆 関東では<オセチ>関西では<ニシメ>  
 昔は、小売店はもとより卸店や問屋も製造元も、正月五日までは、休んでいたので、年の内に<オカズ>をつくっておいたのが始まりで、昔の人は、冷蔵庫もない時代に、少なくともお正月三カ日はもとより五日まで保たせるために、大変な苦心をして、工夫をこらしてつくりあげた。
 初めは、大根、ニンジン、蓮根、牛蒡などの植物質のもので、つまり、お精進<しょうじん>ではじまったが、コンニャク。ゴマメ、高野豆腐などが加わったのは、徳川時代の末か、明治このかたのことで、カズノコは明治の半ばからだといわれている。
                         
★ぼうだら
 おせちは、だんだん豪華になって、デパート・スーパーなどは、予約の注文を受けるのにあの手この手で、まだ9月だというのに大商戦が繰り広げられている。それも万円台どころか桁があがってきているのには、まったく驚くほかない。昨年などは、注文はとるが、元旦に間にあわなかったという落とし話まであって、大変なことである。
              
わが家では、大晦日に出来る限りのものをつくるようにしている。その一つに<ぼうだら>がある。姑が、毎年、暮れ近くなると、ぼうだらを買いこんできて、数日間お米のとぎ汁につけて、気長に煮て、好みに味付けする。姑の<ぼうだら>に慣れ親しんでいたが、姑が亡くなった年、出来あいの<ぼうだら>を買ってきたが、家族の口に会わず「おふくろの味」を、改めて懐かしく思い知った。
以後頑張って、<ぼうだら>づくりに挑戦していろいろなことが、わかった。<ぼうだら>が意外に高価なのは、普通の料理と違って、大変な手間ひまをかけているからだ。
                      
鱈(たら)を開いて干して、かんかんの棒のように、乾燥した乾物の棒鱈を軟らかく煮るまでの手間を、かければかける程、手数をかける程、美味しいものなのだ。
圧力鍋で煮ると短時間で軟らかく煮ることが出来るが、何かもう一つ何かが足りないように感じるのである。じっくりと煮た、あの懐かしい「おふくろの味」がしない。家族は美味しいと言ってくれるが、私の気持ちは納得できない。煮過ぎると身が崩れるので、頃あいをみはからって素早く、普通の鍋に移して、じっくりと煮て、丹念に味付けに心を傾ける。何度も「味み」をして、その間は目を離せない。<新・おふくろの味>誕生である。
今は、嫁が受け継いでくれているが「手間のかかる<ぼうだら>は、出来あいでいいよ」、といっているのだが、工夫しながら美味しい<ぼうだら>を煮てくれている。嬉しいことと感謝している。
                                   東 雲 宣 子

老舗歳時記  

WS000000●菊正宗酒造株式会社  創業350年「辛口ひとすじ」を今に伝える

               
 
●創業は万治二年(1659)徳川将軍4代家綱の時代。
 ▲後醍醐天皇に御影沢の井の水で酒を造り、献上したところ、御嘉納になったので、嘉納の姓を賜ったとのいい伝えがある。※「嘉納」とは<ほめ喜んで受け取ること>の意味。
●明治期(1927)8代目嘉納治郎右衛門(秋香翁)が「どうしても良い酒を造る」という信念のもと、酒質の向上に取り組み業界に先駆けた技術改善でさらに品質を高めた。
                     
▲私立灘高校建学の祖(設立代表者)として尽力をした。
▲<菊正宗>というブランドが登録商標される。▲宮内省御用達拝名。
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老舗歳時記

WS000003●大阪の駿河屋  和菓子
              
               
○寛正2年(1461)岡本善右衛門が京都伏見にて創業。鶴屋。
○天正17年(1589)四代目が羊羹を創案。伏見羊羹の名で売り出した。上品な甘味の羊羹は茶道と相俟って茶人に好まれ、豊臣秀吉の北野の茶会に用いられた。
○慶長14年(1609)五代目は、紀州公の要請に従い、伏見を弟の善一郎に任せて。和歌山に移り、和歌山店を開いた。
○貞亭2年(1665)紀州三代綱教に、五代将軍綱吉の娘鶴姫が嫁がれるに及び、献上。二代目領主光貞より駿河屋の屋号を賜った。
                 
●天保8年(1837)十二代目が三男の善三郎を店主にして、大阪船場淡路町に大阪店を開き、大阪城中に納入。大阪城御用菓子司として創業。浪速の和菓子づくりに励んだ。
▲ 瓦町に移転し、羊羹以外に生菓子、干菓子の製造、販売を始めた。
●昭和26年(1951)平野町にて株式会社大阪の駿河屋に改組した。
                    
 開業以来約180年、歴史の上にたって、常に創造的な経営に心がけ、菓子文化の向上を目指して、社会に貢献し、老舗としての確かな歩みを残し、時代のニーズに適応しつつ、技の革新と製品の開発に努力している。
                         
★<富士鶴>  最高の材料で仕上げた超特選の羊羹で、一口、口にしただけで、全ての羊羹との違いがはっきりと感じられる。美味なるものを口にする喜びが、沸々と、じっくりと、あじわうことが出来る。重厚な品格を誇る。
★<練羊羹>  伝統の製法で、練り上げた美しい紅羊羹である。
★<夜の梅>  小豆羊羹で、昔から馴染みが多い。
★<抹茶羊羹> 抹茶の香りの漂う上品なおもむきがある。
★<栗羊羹>  粒よりの上質の栗を贅沢に使った最高級の羊羹。
                               
季節は移ろう。 我々は、自然の恵みを喜び、しみじみと季節を味わう、春・夏・秋・冬、それぞれの特徴を愛し、癒される。<大阪の駿河屋>の季節の和菓子は、その時だけしか味わえない心の故郷へ、いざなってくれる。
 これからの季節、目出度いお正月、茶会の初釜。ひな祭り、お花見、結婚等の内祝い、端午の節句、涼しげな夏の和菓子、春・秋のお彼岸等。それぞれの想い出を残してくれるだろう。 
                                      梶 康子