食文化とルーツ  ●弁当

bento 花見どき、ゴールデンウイークの頃になると、少し前の昔のたいていの人々は、お弁当を持ってピクニックに出かけたものだった。しかし、今の主婦は弁当をつくりたがらない。子ども達は学校給食があり、旦那方はビジネス街の飲食店ですますようになって弁当屋さん等が繁盛し、行楽地の飲食店が、重宝されることになる。<てんやもん・店屋もの>を食べるのは、女の恥だと教えられ、育ったのが遠い過去のことのように捨て去り、はじめは、とまどいながら外食し、時々母の顔を思い出していた自分の姿が今は懐かしくなる。

              
 自然に囲まれて、新鮮な空気と日光を浴びて、お弁当のフタを開けると、海苔巻きのおむすびの海苔の香りが、先ず食欲をそそる。中身はいつもながらの同じようなもので、卵焼き、塩鮭、野菜にチクワ、蒲鉾、ウインナー、紅ショウガ等。主婦にとって、出発前の忙しい時に、家族のお弁当を用意するのは、大変な負担になるのだが、半分は、負担に思いながら、後の半分は、家族で一緒に食べることの幸せを思えば、結構楽しみなものであった。ところで、一口に弁当といっているが、その言葉は、容器を指すのか? 中身を指すのか? 中身のないのは、普通には弁当と言わず<弁当箱>という。中身の入っているのが、弁当ということになる。感覚的に「お弁当」といえば、中味の入った弁当箱か?
<弁当>とは、一人前ずつ飯を盛って配るのに用いた容器「面桶(めんつう・めんとう)」という曲げ物の食器から転じた言葉だということだ。
 ヒノキやスギの薄板円や楕円形に曲げて合わせ目をサクラの木の皮でとじて、底を張った<めんば>や<わっぱ>と呼ばれる曲げ物がそれである。現在でも、木目の美しい秋田杉でつくった秋田名物の曲げわっぱは、芸術品として愛好されている。
                       
弁当という言葉が、使われ出したのは、織田信長の安土桃山時代からということになっているが、<面桶>はもっと古くから用いられていた。弁当箱として、古くから使われていたものに割籠(わりご)がある。主にヒノキの白木などでつくった折箱で、一度限りで捨てる粗末なものであった。面桶というのは、この割籠の一般化したものである。
 ヤナギや竹で編んだ行李も弁当箱として使われた。長方形の小箱で、通気性に富んでいるので、夏でもご飯がいたみにくいという特長があった。
                             
 弁当はもともと、山や野、海上へ労働にいく時、または花見などの行楽に、自分の家でつくったご飯や料理を持って行ったものであった。それが、江戸時代になって、芝居見物の幕間に食べる「幕の内弁当」が生まれ、仕出し屋から取り寄せる弁当が出来た。更に鉄道が開通してから旅客の為に駅弁も出現して弁当は多様化してきた。  
                                葛 城 陽 子