老舗と私 ★吉野寿司(大阪寿司)

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 <吉野>は創業天保十二年以来170有余年、大阪寿司一筋に歩んできた。最近のお寿司屋さんは、江戸前のにぎりを扱う店が多く、大阪寿司をメインとする店が減少している。
 幼少の頃は、よくお客さんがお手土産として、箱折りの大阪寿司をいただいた記憶がある。

長じてから、大阪の、ある能楽堂が春、秋の催しの際に必ずくださるのが、<吉野>のお寿司で、見た目は地味で、万事ドハデな大阪のお弁当にしては、見栄えのしないお弁当だなと思ったが、日本の伝統芸能の能楽に相応しいのかも知れないなどと、一人合点をしながら戴いたが、味も大したこともないなと思いながらよく噛んでいるうちに、奥ゆかしい、しっとりとした味わいに舌鼓を打った。後で<吉野>はお寿司の老舗だと聞かされて、「なるほど」と老舗とはこういうものかと心に刻まれたものであった。丁度、能楽に、はまっていたのと、<吉野>のお寿司の目当てもあり、春、秋の能楽会には欠かさず足を運んだ時期があった。能楽と老舗のお寿司の素晴らしいハーモニーであった。

 昔、船場の商家で丁稚どんだった人が、現在は成功して立派な社会人として活躍している人達が大勢居られるが、その人達は、自前のお金で、いつの日か<吉野>のお寿司を食べられるようになりたいと、歯をくいしばって頑張ってきたという。
 <吉野>が老舗をはっているということが、どれだけ多くの人々を励ましてくたことか、はかり知れないものがあるのである。
 おばあちゃんやお母さんが<吉野>の寿司を好きだったと買いにきて、自分も食べてみて、更にその人達が、また、自分の子供や孫を連れて<吉野>へやってくる。そういう風にして、大阪寿司は受け継がれてきた。ということに<吉野>は誇りを持っている。いわば大阪の食文化を支えてきた。今後もそれを担っていく、という心意気である。
 従来の大阪寿司は、大衆的な食べ物で、値もごく安く、料理というよりも、いっときをしのぐ手軽なものとして扱われていたが、<吉野>の三代目が、タイ、エビ、ハモなど高級な材料を使って工夫を重ね、苦心の結果生まれたのが、現在の「箱すし」で卵焼きも白身の魚のすり身を混ぜて厚焼きを研究した。
大阪寿司は、「めしに六分の味」といわれている。だから寿司めしの味に心配りが必要で、昆布だしをたっぷりと含ませて、良質の米を炊く「おすもじ」で、じっくりと噛みしめて味わうもので、にぎったそばから食べる江戸前とは違い、店で買ったものを持って帰って食べるのが普通とされる。時間が経っても風味が変わらないのが特徴である。
 ちらし寿司の、関東と関西の違いは、関東では、寿司ごはんの上に具を載せるが、関西では、寿司ごはんに具を混ぜてしまう。ちらし寿司の発想は、台所の残り物を、上手く使って一つの食べられる物をこしらえるという、ものを粗末にしない商人の精神から出来たものである.                             梶 康子