●行事と旬  雛祭り

23149952_m 「骨菫集」によると、わが国で三月三日の雛祭りの風習が広く行われたのは、大正以後のことではないかという。江戸時代には三月三日は五節句の一つに定められ、将軍家・大名・また民間でも雛祭りが行われるようになった。由来については、平安朝の頃からあった雛あそびと、中国から伝わった三月上巳の祓いの行事が合体して始まったらしいという説がある。
 平安朝の上流社会で行われたもので「源氏物語」や「宇津保物語」にも見えて、人形を使った、ママゴト遊びのようなものであった。
 またお祓いの行事は人形に酒食を供えてから、もろもろの厄を人形に託して、水に流す行事で、雛遊びと一緒になって雛祭りとなったと言われている。
 三月三日に子どもたちが弁当を持って、海岸に出て遊ぶ慣わしは、東北。中国・九州にもある。女たちが浜に集まり、草餅などを食べて遊ぶ地方もある。また、雛段の前で女児がママゴト遊びをするのを磯遊びといい、また、川のほとりにむしろを敷いて、あさり飯などを食べて、一日を遊び、山村では、山の頂上や中腹の眺めの良い所で食事をするなど、地方によっての行事があった。現在はどれくらいこの風習が残っているのだろうか? 興味深いものがある。
 いずれも根本の精神は、神を迎えて食物を供え、神・人共に、一日を遊び暮らしてから海のかなたに神送りする祭りである。人形を作っても、海や川に流す紙や藁の簡単なものであったが、次第にひな人形が華麗な高価なものになって。海や川に流さずに雛段に飾り、料理を供えるようになった。
                                   
●ちらしずし
 雛祭りにはちらしずしが定番になっている。「和漢三才絵図」にコケラ寿司なるものが書いてあるが、それの進化したのが、ちらしずしである。皿に盛ればバラバラになるので、バラずしともいう。
 ちらしずしは、鮨飯の上に椎茸・蓮根。人参・かんぴょう等の下煮したものや、キハダや生マグロ・アカガイ・トリガイ・塩ゆでしたエビ・味付けしたソボロ等を載せ、もみ海苔等をあしらう。
                                           
●春の餅菓子
 花の里 心も知らず春の野に いろいろ摘める母子もちいぞ
これは草餅を作るために母子草を摘んでいる様子を詠んだ、平安時代の女流作家和泉式部の歌である。草餅は、平安時代には、すでに雛祭りに供えられていたのである。
 桜餅は、江戸時代の享保年間に山本新六という人が、始めたという。八代将軍徳川吉宗が隅田川の堤に百本の桜の木を植え、花見客が増えたので、塩漬けの桜の葉で餅を包んで売ることを考えたという。                              東 雲 宣 子