●老舗と私   御菓子司  鶴屋八幡<和菓子>

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 江戸時代の元禄のころ、大阪高麗橋に店を構えていた有名和菓子の老舗の「虎屋大和藤原伊織」に由来する。<摂津名所図会><東海道中膝栗毛>など数々の文献に残る程隆盛をきわめていた「虎屋伊織」が閉店の後、永年奉公をしていた今中伊八(鶴屋八幡初代)が、主家と贔屓筋から開業を勧められ、「虎屋伊織」の灯を消すまいと、文久3年職人たちと共に、同じく高麗橋に暖簾を掲げた。
                          
 鶴屋八幡の屋号は、初代の自宅庭に鶴が巣を作った瑞祥と、開業に際し「虎屋伊織」に原材料を納めていた「八幡屋」に支援を受けた恩を忘れまいとして「鶴屋八幡」と名付けた。初代の恩義を大切にする真骨頂の精神が込められているのである。
                            
 鶴屋八幡の大阪本店の、落ち着いた風格を醸し出す雰囲気は、さすが、老舗の品格を保っている。その雰囲気が好きで、なにかに付けて出かけた折には、地下鉄の淀屋橋で下車して、「鶴屋八幡」の本店でお買いものをして、店内に続いている喫茶室でゆったりとしたスペースの空間で、落ち着いて寛いでいた。雑事から離れて、一人のひとときを満喫したものだった。たいてい午後3時ごろだったので、近くのビル街の会社関係の商談に利用されていて、それも若い人達よりも、年配のおエラ方のようだった。
 店の人に聞いてみると、会社の終わる時刻から様変わりして、若いカップルや、女性グループで店内は賑わうらしい。トップグループの企業が競い合っているビル街のド真ん中にあって、終業後の安らぎの場になっているのである。
 和菓子が基調の店だから、コーヒーカップも和風の感じだし、雰囲気も落ち着いている。隣のテーブルの男性二人連れが、ぜんざいにするか? コーヒーにするか? と話しているのが聞こえてきた。男性同士で、ぜんざいとか、コーヒーとか、という取り合わせは、今までの私のイメージには、存在しなかった。それが、この場では、違和感もなく口に出来る。何となく、それもありなのだと解りそうな気がして、微笑ましく思えたものである。
 年齢を重ねるにつれ、段々足も遠のき、最寄りのデパートの「鶴屋八幡」のお店で、済ませるようになってから久しい。今は懐かしく思い出している。
                                                              
★和菓子は日本の四季を表現している。人それぞれが感じてきた人生の想いが楽しく、悲しく、懐かしく思い出させてくれる。これからの季節は、新春を迎えるにあたり、めでたさと、季節感を表現した迎春に相応しいものが多い。
 「鶴屋八幡」の生菓子は、老舗ならではの深い味わいと美しい色合いで、いかにも新年を迎えるに相応しい、心の安らぎを覚える。
 以前は新年の挨拶、いわゆる年始廻りの来客のために、「鶴屋八幡」の本店まで出向いて用意していたが、段々そういう風習もなくなり、準備する品数も減少していたが、孫たちは毎年のことで、楽しみにしている。やはり彼らの顔を思い浮かべながら、アレコレと多めに最寄りのデパートで求めることになる。
 新型ウイルス・コロナの折により、<密>を避けるために、各家族ごとに、日割りをするため、全員集合できないのが残念であるが、それでも、美味しい和菓子を戴くのを楽しみにして、来てくれるのは嬉しいことである
 亡き夫が「子どもは小さいうちから、上等のものを食べさせておくと、食べ物の良さを見極められるようになる」とよく言っていたが、常時高価なものばかりということはできないが、折にふれ、なにかの節に良いものに接すると、感性が高まると私も思っている。
 例えば五月の柏餅。孫は「鶴屋八幡」の柏餅を一口食べて「これはいつものスーパーのと違うね。美味しいよ」と。この一言で、わざわざデパートまで行って、良かったと嬉しくなったものだ。
                                       梶 康子