食文化とルーツ

氷●氷
         
 氷といえば、連想的に甲子園の高校野球を観戦する炎天下でのカキ氷が思い出される。
とぶように売れるカチワリは、ビニールの袋に入れてあって、ストローがついていた。余りの暑さに、カチワリの袋を氷嚢みたいに頭にのせてみたり、ずいぶん役にたった。今年もカチワリが大活躍することだろう。随分長いこと甲子園に行ってないので、今はもっと洒落たスタイルになっているかもしれない。

 氷はいつ頃からあるのだろうか? わが国は温帯国のため、冬季には天然の氷、夏季に
は製法が開発されていなかった為、冬の氷をなんとかして保存して、貯蔵しようとする発
想から、貯蔵法は古くから考えられていた。
 仁徳天皇の62年(374)に、はじめて氷室が置かれた。とある。皇兄額田大中彦命が、
闘鶏野に遊猟された時、氷室を見つけ土地の大山王に問うたところ「氷室です」と答えて
説明し、氷を献上した。命はそれを持って帰り、天皇に贈った。これが文献に出てくる始
まりで、起源はもっと古い。
 山かげの日の当らない所に穴を掘り、厚く茅などを敷いて、その上に冬の厚氷を入れて
おき、夏になって、掘り出し天皇に献上した。
 闘鶏野は大和山辺の地で、後になって、仁徳天皇・大中彦命と大山王を祀った氷室神社
が創設された。この一事で、氷室がどれだけ貴重な存在であったかがわかるといえよう
                                     

 能楽「氷室」は、この物語を幽玄化したものだが、氷室の重要性がうかがえるのである。
{大宝令}(701)には、宮中に主水司(もんどのつかさ)を置いて、氷室を管理させた、
とある。その後、元明天皇の和銅3年(710)に、氷室神社は春日野に移された。
「源氏物語」や「枕草子」などにも、氷室のことなどが出ているが、貴族達の為だけに
あったにすぎなかった。

                                 

 江戸時代に入って、雪国の大名から貯蔵した氷を、幕府に寄贈した話は、あったらしい
が、これとても限られたもので、国を出る時は、大きかった氷が、江戸へ運ばれて将軍の
口は入るまでに、殆ど溶けて、小さく成っていたという笑い話のような事実もあったらし
い。庶民の口には、一片の氷も入らなかったことは、いうまでもない
 横浜開港後(明治2年)アメリカのボストンより氷を輸入して、氷水屋(こおりみずや)
を開業したり、北海道の函館五稜郭の天然水が良質とわかり、人々に喜ばれた。
 氷が本当の意味で、庶民のものとなったのは、三種の神器のうちと言われた戦後の時代
から各家庭に普及してからのことである。以後各家庭で氷がつくれるようになり、色々な
氷菓子も自家製を楽しめるようになり、料理のレシピも豊富になり豊かな食文化を展開す
ることになる。                          東 雲 宣 子