食べ頃
●蕎麦<そば>
原産地はシベリアからインドに至る地方といわれている。わが国へは、北方から朝鮮を経由して渡来したものと推定されている。
「続日本記」によると、人皇44代元正天皇の養老6(722)年、夏に雨が降らず、稲が生長しなかったので、7月詔してソバを植えしめ、荒年にそなえしめられたとあり、次いで54代仁明天皇の承和6年(839)年7月にも畿内に詔してソバを勧種せしめたことがあるから、既に奈良朝以前に植栽されたことは、明らかである。
この季節はざるソバが、口に爽やかで、少し贅沢をして天ざる(天ぷらソバ)が好まれるが、汗をかきながら、フウフウーと食べたあとの気持ち良さも大切にしたい。
●素麺(そうめん)
7月7日の七夕に願いごとを短冊に書いて笹にかざり、瓜や、果物、素麺などをお供えして、親しい者たちで、会食をする、七夕の行事はわが国では、奈良時代に始まったとされている。牽牛星はわし座、職女星はこと座で、二つ星は、七夕の夜に北の天頂に昇って、天の河に並んでかかるので、中国では二つの星を人格化し、この日を年に一度のめぐり合いの日と考える伝説となった。
江戸時代の「日本歳時記」によると、七夕に素麺を食べるのは、中国の伝説によるとある。中国古代の伝説の王、高辛氏の王子が、7月7日に死んで、その霊が鬼神となり、人々に病の災いをした。その王子は、生前に索麺を好んでいたので、命日に索麺を供えて祀り、霊を慰めた。災いも納まったので、以後、七夕の行事として、索麺が、七夕の索麺「素麺」の始まりとある。
「和漢三才図会」(1713)に、索麺は素麺というとあり、七夕素麺の風習が生じたと思われる。よく冷やした素麺に刻みネギや、好みの薬味・大根おろしを添えて、美味しいだし汁があれば、暑さもしばし忘れられる、
●月見のお供え
中国より伝わり平安時代初期に宮廷で、8月15夜に観月の宴が行われたのが発端となった。9月13夜も同じく月見の宴が行われるようになり、「後の名月」と称した。その当時は、詩歌・管弦を主とした風流なものであった、江戸時代に入ってから、庶民も供え物をするようになった。また、稲作が始まる前の日本人の食生活は、里芋が主食的であったので、満月の頃に里芋が収穫されるので、里芋を供えたのが始まりだといわれている。
▲十三夜 陰暦9月13日の夜。宇多天皇がこの夜の月を「無双」と仰せられたという程の名月。上方では、枝豆の実り頃で塩ゆでの枝豆を供えた。豆名月という。
▲栗名月 8月15夜を宇名月というのに対し、9月13夜「後の月」に出盛りの栗を供えるので栗名月という。
葛 城 陽 子