食べころ
どんな食べ物でも<食べころ>というものがある。
冷やして食べて美味しいものは、箸をつける寸前まで冷やしておく。熱いものは、器まで暖めておく。だからいったん食卓に並べてしまってから、「今、食べたくないから後にする」なんて言おうものなら、母はひどく落胆したものだ。「食べころだったのに」と嘆く。そんな母に押しつけがましさを感じたこともあったが、料理をする立場になってみて、初めてその気持ちが理解できた。
「一度でいいから出来たてのお味噌汁を食べてみたい」と母はたまに愚痴っていたが、いつの間にか私も同じことを思うようになっていた。
味噌汁の美味しさは具が柔らかくなったところへ、手早くといた味噌を入れてふき上がったらば、すぐに火からおろして食べるのが、一番。何度も温めるのは、本当の味噌汁とは言えないという。だから味噌汁を食膳に出す頃あいから逆算してあらかじめ煮てある具に味噌を入れる。給仕をしているうちに、味噌汁は冷めてしまい、温めると味が変わる。
魚類も一度煮たものは、味が煮しまるので、これも予め準備をしておいて、食べる直前に煮ることになる。 ・天ぷら然り。 ・肉料理然り。 だから食事時のキッチンは、火事場騒ぎのようになる。
自分が食べる気持ちになって、一番美味しい状態のものを食べて戴きたい。これは料理する側の者の信条で、相手に「食べころ」を食べてもらう為には。本人は食べているどころではないのである。若い頃は、あまり「食べころ」を意識せず、なぜ母が「食べころ」にこだわるのか、理解できなかったが、年齢と共に「食べころ」を意識するようになった。
近頃、加齢による現象か? それとも長年、家族の「食べころ」を気にして、自分は、いつも冷めたもので済ませてきたせいなのか? 熱いものが、食べられなくなった。かといって、ぬるいものを出されると拒絶感を覚える。やっかいなことだ。
友人とコーヒーを飲みながら、そのことを愚痴ると、その友人も同感だという。
あんなに熱いのが好きだったのに、今は飲めなくなったという。そのくせ、やはり、最初からぬるいのを出されるとイヤだという。色々話し合っているうちに、今、私たちの「食べころ」は、熱いものを、自分の好みに合った温度まで下がるまで待ち、そして、今度はそれ以上冷めないうちに戴くことだということになり、「食べころ」は何時までも、手間のかかる難儀なものだな~ ということになった。
今まではひと様の「食べころ」に心をくばったが、これからは、自分の「食べころ」も大切にしましょう。と、思うようになった。
梶 康子
葛城 陽子