ヒガシマル醬油株式会社

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風土記の昔、日下部(くさかべ)の里と呼ばれている龍野市は、古代より播磨の中心として発達してきた。その中にあってヒガシマル醬油株式会社は、龍野の町と共に栄えてきた。
龍野を流れる揖保川の水は全国でも、まれにみる鉄分の少ない軟水で、この良質の水が、色の淡い味の良い、香りの高い淡口醤油を造る上において欠かせないものなのである。
★清らかな水
★播州平野の豊かな小麦と米
★山間部の質の良い大豆
★赤穂の良質の塩  これらがおだやかな気候に恵まれて醬油産業が発達してきた。


旧藩の脇坂侯の保護もあって、江戸時代には醬油の醸造地としてすでに全国的に知られ現在に至っている。
天正15(1587)年に円尾孫右衛門、天正18(1590)年に、栗栖屋横山五郎兵衛によって醬油づくりが創められ、寛文6(1666)年より淡口を特色として栄えてきた。その間、京・大阪の文化に育まれ、洗練されて、日本人の食生活になくてはならぬものとなり、外国人の間にも広がり、味わわれるようになり、実に428年も醬油を造り続けてきた。
以前、龍野を訪れた時、先ず、兵庫県重要有形民俗文化財指定の、うすくち龍野醬油資料館を見学した。代々醬油づくりに励んできた先人達の創意・工夫、それに醬油づくりへの情熱とでもいおうか、それらが古い道具類や、建物に染みつき、息づいているようで、心が和んでくる。
この建物は、菊一醬油(資)の本社として建てられ、浅井醬油(代)と合併後、龍野醬油(株)~ヒガシマル醬油(株)の本社となった。同社のみならず、広く龍野醬油協同組合各社が保管していた資料を中心に展示してある。全て、手作業の中にも各所に、先人達の工夫のあとが見られ、苦労が偲ばれた。
 次に案内されたヒガシマル醬油の工場では、●小麦を焦がさないように炒る。●炒った小麦を粗めにひきわる。●やわらかく蒸した大豆をコンベアーで自動的にさます。●種こうじを混合。●塩水を加えて、発酵をコントロールする室で半年以上熟成させる。人工的に四季の変化を与える。(もろみ)。●もろみをしぼって生醬油をとる。この時蒸した米を甘酒にして加え、しぼる。●火入れ、濾過をし、品質を安定。●厳しい検査。●ビン詰、出荷。これらがすべてコンベアーベルトの流れの中で行われ、温度、湿度が自動制御室でコントロールされる。巨大なタンクが並んでいるのに圧倒されながら、我が家のキッチンにある淡口醤油を思い浮かべていた。
これから重宝される、そうめんだし。麺つゆ、うどんだしの液、粉末の各種製品が約200種類もあるそうだ。あの美しい播州平野をもう一度訪ねてみたい。     梶 康子