お弁当
秋の行楽のシーズンです。ハイキング、運動会、遠足、地域の子ども会の行事等。お弁当を食べる機会が多くなる。
私の子どもの頃は、戦争中だったので、いわゆる「日の丸弁当」と決められていて、四角い弁当箱にご飯を敷き詰め、真ん中に梅干し一つをのせ、あたかも日の丸の旗に仕上げてあったので、「日の丸弁当」といわれていた。「贅沢は敵だ」という時代だったのである。
当時、私は、梅干しが嫌いで食べられなかったので、母はその頃貴重品扱いの卵を焼いて、ご飯の下に隠してくれたりした。子どもなりに、母の思いやりが嬉しくて今でも忘れられないが、その時は、誰にも見つからないように、食べるのに苦労したのも事実で、それも今は、懐かしい思い出になってしまった。
孫娘二人が、ガールスカウトにお世話になっていたとき、ガールスカウトの集会の日には「スカウト弁当」と呼ばれるものを持って行く。中味は「日の丸弁当」と同じような感じで、おむすびに梅干しだけを入れている。実際は塩昆布とかふりかけとかも入れてよいらしく、昔ほど厳しくない。趣旨として、家族に負担をかけないで、自分で作れるようにとのことらしい。
弁当はもともと、山や野、海に働きに行くときに持参したもので、また、花見などの行楽のときは、華やいだものを、自家製のご飯や料理を持って行った。
江戸時代になって、芝居見物の幕間に食べるための、幕の内弁当が生まれ、仕出し屋から取り寄せる弁当ができた。
鉄道の発達につれて、駅弁も出現し、旅客のニーズにこたえ、地方の特産物に工夫を凝らし、多様化していった。
通勤・通学にも弁当持参だったから、ごく普通に日常的な材料で、愛情をこめて作っても、どうしても、マンネリ化になりがちで、作る者としては、当たり前のようでも、苦労したものである。学校給食が普及してからは、母親(主に母親)は、お弁当作りをしなくてもよくなったが、愛情の伝達方法としてのコミニケーションが、一つなくなったような思いがする。
最近は<愛妻弁当>なる言葉も耳にしなくなったが、皆無とまではいわないが、少なくなったのは否めない。時代の流れ、諸般の事情ということだろうか。 東 雲 宣 子