花物語 シクラメン
長姉は、健康を損ね、数年間入退院を繰り返し、そのたびに家族は勿論、私達兄妹も一喜一憂をしていた。集中治療室で、最先端をゆく医療器具に囲まれていた。
やっと個室に戻れたということで、駆けつけてみると、「じっと寝たままでいると、さぞ足が痛かろう。だるかろう」と義兄が、姉の足をさすってあげていた。
たまに「代わりましょう」といっても義兄は「何もしてあげることが出来ないから、せめて足だけでも、楽にしてあげようと思ってネ」とはにかみながら言って、代わろうとしなかった。
姉は第二次大戦中に足を痛めた。当時は、医者は軍医として戦地へ行っているか、疎開しているかで、十分な治療も出来ないまま終戦を迎え、その後、平和がやってきたものの、姉の足は、どこの病院へ行っても、手遅れになっていると言われた。
義兄が始めてわが家に奉公に来た時、私はまだ生まれていなかった。可愛い盛りの幼女であった姉を見て義兄はいつも思ったそうだ。「この可愛い子は、将来どんなところへお嫁にいかはるんやろ。自分には雲の上の人や」と。
縁あって姉と結婚した義兄は、主家の憧れの人が、自分の妻になってくれるということがとても嬉しく、いつまでも感謝と愛で、病気がちな姉をいたわり、深い思いやりの心で姉を愛し続けてくれた。姉が入院すれば、毎日病院に通い、やさしく姉の足をさすってあげている姿は、年老いてなお美しい夫婦愛の絆を感じ、私の胸に激しいものが伝わってきた。
ある日、病院からの帰途、義兄は、道端の花屋さんの前で立ち止まり、シクラメンの鉢植えを買ってくれた。次姉と私とそして義兄自身の分と三鉢とも同じ色だった。
義兄の脳裏には、シクラメンの可憐な可愛い花びらが、幼い頃の姉のイメージとだぶっていたのではなかろうか。また、毎年春になると退院していた姉が、その年も元気に帰ってきてくれるようにという必死の願いを、祈りをシクラメンにたくしたのではなかったか。新種のランの花にも似たゴージャスで、可憐な花を見て私はそう思った。
姉が他界し、義兄も1年後に後を追った。シクラメンの花を見ると、義兄が、愛を込めて姉の足をさすっていた姿を思い重ねるときがある。
葛 城 陽 子