菊正宗酒造株式会社

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ずいぶん昔のことになるが、卒業して就職した会社が、酒精アルコールのメーカーで、最大手のお得意様が、<菊正宗>であった。酒どころの灘五郷、伊丹、伏見、奈良をはじめ北陸その他関東以西の酒造会社を担当する大阪支社の酒精課は、連日連夜販売合戦に明け暮れていた。女子社員だとてのんびりしてはおられない。他の課の者も手伝えることは手伝って、全社をあげてとりくんでいた。

郵便物一つにしても、当たり前のことながら、宛名はきっちりと書き、我流でくずしたりしては、叱られたし、切手を貼るのも少しでも歪んでいれば注意をされた。
 何しろ神様のように思っていた酒造会社の中でも、とりわけ<菊正宗>は最大手なのだから、社長が、お見えになるとなると、受付周辺の空気が、張り詰めて社員の緊張していた顔を、いまでも思い出すことがある。

<菊正宗>は、万治2年(1659)摂津の国御影郷(現在の神戸市東灘区御影)において創業。現在に至るまで、実に453年、たゆまざる研究で、その時代を先取りし、日本酒のトップメーカーとして、ブランドを守り続け、常に業界のトップをゆく。

 天保11年(1840)西宮に宮水が発見されて、優れた杜氏を輩出させている丹波地方の技術者が、蔵に入り、現在に伝えられる伝統の味を生み出した。

 四季醸造の蔵を完成させ、<菊正宗>を一年中供給出来るようにした、技術革新は業界でも注目をあびた。
 また、「辛口宣言」を行い、それまでは日本酒の主流だった甘口傾向を一変させ、辛口ブームのくちびをきった。

 主力商品の全てを本醸造化し、本物の味を消費者へ提供していくことを使命としている。それは<菊正宗>が、社会の大勢や変革に押し流されることなく、本物の味を一筋に守り抜くことで、よりよいものを社会に提供していくことが、できると考えているからである。

 数え上げれば、枚挙にいとまがないが、<菊正宗>はいつの時代でも、時代もニーズも先取りし、トップのシエアを誇っている。
 海外においても、順調に実績を伸ばし、日本酒ブームを到来させた。
                                梶 康子