ビール
ビール醸造の期限は遠くエジプトから始まり、その法がギリシャからローマに伝わり、やがてヨーロッパ中部に及んでドイツ・ベルギーから海を越えてイギリスに渡り、最初はいずれも家庭的工作で自家用には主婦のほか、やや大量に造るにはもっぱら僧院で醸造していたが、やがて消費量の増加と機械工業の発達により、ことに十八世紀末の科学的勃興により大規模な醸造所が続出した。
初期のビールは、現今のようなものでなく、主原料とする大麦に水と麦芽を加えて自然醗酵させるだけの単純な方法であった。そこへホップを加えて、苦味と芳香とを添えたのは十世紀頃のドイツからで、現在ドイツがビールの本場といわれる所以だが、醸造高において、勝っていたイギリスは、当時の新香味をあまり好まなかったため、旧来の国称「エール」でこだわるうちに、いつしか大陸の嗜好から取り残されていった。しかし、それがかえって蒸留酒ウイスキー発生の動機となった。アイルランドで試みられたが、気候的関係からスコットランドに移り、ウイスキーの本場として貯蔵期間が長いほど優良化するオールドスコッチが代表的となっている。
十六世紀末頃、日本に来たオランダ人達はビールを小さな船にビア樽を積んで来たが、日本人は、ビールを口にしていなかった。享保年間<八代将軍吉宗の時代>に、杉田玄白はビールを飲んでいるが「何の味わいも無い」と書き残している。始めてのことでどうやら口に合わなかったらしい。
日本で始めてビール醸造を試みたのは、幕末の頃蘭学者の川村幸民が、オランダ風にならったのに発するが、それは単なる試験的の域にすぎなかった。
★明治七年はじめて国産のビールが。市場にデビュー。醸造高年間二百石
★明治31年、日清戦争の景気にあおられて、五万五千余石
★明治41年、日露戦争後、十三万八千石
★大正末期 九十万石
★昭和になって、一般に普及しだしたが、第二次大戦の敗戦により、普及しかけたビールは、再び庶民から遠のく。
★昭和30年後半の高度成長期に入り、どんどん普及し、女性愛飲者も増加の一途をたどり、うなぎ登りにビールの生産量も成長した。
★平成に入り需要は益々増大し、缶ビールの多様化が拍車をかけ、留まる所を知らない盛況である。
◎乾杯好きの日本人は、家庭で、職場で、グループで、ことあるたびに乾杯をする。
しかも殆どがビールで乾杯をする。今後もまだまだ需要が増え続けるだろう。
甘辛のれん会の会員、アサヒビール(株)・サントリー(株)は日本ビール業界を常にリ
ードし、躍進を続けている。 葛 城 陽 子