酒文化

sake.jpg酒は洋の東西を問わず人間に幸福感を与え、ともに飲みあう仲間の関係を円満にさせるということにおいては、これに勝るものはない。

 人間のみがもつ、貯えるという能力は、穀物や果実を食用として貯蔵し、そのうちに自然に醗酵したのが酒だったのである。縄文の頃の土器にたぶん果実酒がもりこまれ、人々に思いもよらぬ楽しさをもたらしたのである。

 一説によれば、古くは酒造りは女の仕事であったとされる。古代の米つくりは、とりわけむずかしく、豊作を神に祈り、収穫を感謝するのに米から醸し出された酒を供え、ともにあいなめする祭りを行うようになった。その神に仕える婦人(古語では刀自「とじ」)が、口中を清潔にして米をよく噛み、手でこね醗酵させて酒を造り、これを神酒(みき)とした。そして神酒を管理する役も主婦である女性であり、刀自であった。その名が後になり、専門の酒造り職人の頭を意味する「杜自」の名に移っていった。

 日本列島のどこでも、米づくりを中心にして人間の集団が生まれ、酒を造り、各地各様にその方法が伝承されて、個性豊かな地酒が全国に造られていった。日本酒そのものはもちろん日本固有のものであり、こんな美味い酒を造られた最初の神は、大物主神「おおものぬしのかみ」であるとして大和(奈良県)の三輪山に祀られている。古代からの「口噛みの醸し酒」が、奈良時代になって、麹による酒造りへと進歩していった。

日本酒はその醸造にも保存にも複雑な技術と微妙な注意のもとに造られている。手づくりはもちろんコンピューター化されていても、細心の技術を必要とすることに変りはない。日本酒の醸造には従来最も伝統が重んじられ、精米と洗米は機械を用いたりしていたが、各醸造所によって多少の相違はあるが、同じ一棟の酒蔵でも位置、方向、外湿、などの関係から、バクテリアの発生なり作用なりに異変があり、各槽の醗酵度にも影響するため、調節に要する注意と操作とに蔵人と呼ばれる従業者は大変であった。
昔醸造法が完成していなかった時代に、技術の未熟と不注意から熟成中に度々酸敗した例がある。由来酒蔵は神聖なものとし、入り口には注連縄をはり、蔵人の俗念を遮断し、もっぱら緊張精進せしめるため、婦女子の入場を禁じた。

近代化が進むにつれて、いろいろ様変わりもやむを得ないが、各業者は、伝統の味と技を守りながら、時代のニーズに応えてしのぎを削っている。中でも、<甘辛のれん会会員>の★日本盛株式会社(灘・西宮) ★大関株式会社(灘・西宮) 
★菊正宗酒造株式会社(灘・御影) ★長龍酒造株式会社(奈良・広陵町)は、日本酒の格式を保ち、自社の製品に誇りをもち、業界をリードし、なおかつ日本酒文化を次代に引き継ぐべく日々精進している。

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