伝統の味 ― 蒲鉾あれこれ

kamaboko.jpg  蒲鉾といえば、正月のおせち料理の重箱に、めでたく紅白に並んでいる蒲鉾が目に浮かぶ。正月に限らず、来客の時は勿論、日常の食生活においても、低カロリー、高タンパクの健康食品である。酒のみにとって<いたわさ>はなじみ深いが、われわれの旅の思い出の中にでも、必ず地方特産のかまぼこに出会う。                                    
●仙台 ― 笹かまぼこ ●富山 ― こぶ巻きかまぼこ ●和歌山 ― 南蛮焼き ●山口 ― 白焼きかまぼこ ●下関 ― 簀巻かまぼこ ●宇和島 ― 焼きかまぼこ 等々。

 北から南まで、至るところにそれぞれ土地の特色を出したかまぼこがある。日本人が発明し、古くから発達してきただけに、全国各地の国自慢となっている。

  東京付近では小田原が有名で、大部分が白板である。これに対して大坂は大部分焼板である。

 優良な主用材料は、小田原のキス、大阪のハモ、長州および宇和島のエソ、南紀地方のムツ、仙台のヒラメなどである。したがって、これらの地には自然と美味しいかまぼこができるのも納得できる。

 かまぼこの由来は、神功皇后が神戸の生田の森で、魚肉のスリ身を鉾の先につけ、火にかざして焼いたものが、最初だという。

 平安時代初期に儀式用として作られたが、製法は今でいうチクワで、魚のスリ身を細竹に塗りつけ、炭火に炙って焼いたのが、蒲の穂に似ているから、かまぼことよばれるようになった。

 かまぼこの材料は、最初はナマズを使っていた。ナマズの肉は、純白美味であるが、形が醜く、親しみがたいので、先ずすりつぶして醜くさを取り除いた。やがてハモも味が良いとの理由から、すりつぶされたということである。
 原料となる魚も変っていき、ナマズの肉から、、江戸時代にはタイやカレイまでも作ったらしい。江戸時代末期には、雲丹かまぼこ・卵黄かまぼこ・濃茶かまぼこ・旭かまぼこ・青山かまぼこなどが出現し、かまぼこ技術は次第に複雑にエスカレートし、松、鶴の絵、寿の字をつけ、祝儀の必需品にまでなってしまった。

 正月のおせち料理は、とかく地味な煮しめの重箱に、かまぼこが使われると華やかな色彩を添えてくれる。

 日常は市販のものですませていても、お正月には甘辛のれん会の老舗<大寅>のかまぼこをと願う主婦達で大寅の店頭は賑わう。年末年始の贈答用にも重宝。

 
      東雲 宣子