お菓子

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 原始時代の菓子は果実のことで、垂仁天皇の90年2月田道間守(たじまもり)を常世(とこよ)の国へ遣わして非時香実(ときじくのかぐのこのみ)を求めしめたのが渡来果実のはじめということになっている。

 「香実」は柑橘類の総称で「非時」は時季を超越する意味だから、冬は黄熟しても夏は青緑にかえる橙の類であろうといわれ、後世田道守を以ってわが国菓神の祖とされた。

 大宝令に「主果餅二人、菓子を掌り雑餅を造る」とあるが、果実以外穀類による菓子の製造が始まった最古の文献である。

● 仏教伝来後の唐菓子は変遷を経てコントン、ホウトウ、コメとなり、コントンはウドンの前名、ホウトウは郷土食として今も残る麺類であり、コメは後世のオコシである。このうち菓子として残っているのはオコシである。当甘辛のれん会加盟店の「あみだ池大黒」は伝統を守りながらも時代のニーズに合わせたオコシを作り、大阪を代表する名産の老舗である

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● 室町後期に糖菓が造られ、饗応菓子には上菓子を使い、上菓子とは献上菓子の意味で庶民の常用するものでなく、かつ白砂糖の使用は上菓子司に限り一般には厳禁されていた。因みに白砂糖を使えないものは黒砂糖をつかった。雑菓子または駄菓子という。

● 羊羹は鎌倉時代に伝来した。

● カステイラ、コンペイトウ、アルヘイトウなど南蛮菓子が輸入され、甘辛のれん会加盟店「長崎堂」はのれんを守り伝承を受け継いでいる。

◎ 上記の上菓子類は同じく甘辛のれん会加盟店「鶴屋八幡」「ちもと」「大阪の駿河屋」により老舗ののれんが守られている。

梶 康子