初物 エンドウ豆

photo16.jpg 初物とはその季節に初めて出来た穀物、野菜、果実などのことを言うが、最早<旬>と言う言葉さえなくなりかけている昨今、初物の認識が薄れつつあるが、都心から少し離れて住んでいるおかげで、米作りはしていないが野菜作りをしている知人らが、自家製の初物を届けて下さり、改めて<旬>を意識する。いっときになって、キッチンが野菜だらけになっても心はすこぶる豊かになる。

 一つだけ心待ちするものがある。それはエンドウ豆である。60年も前のことだが、第2次世界大戦で大阪市も再度の空襲に合い、衣・食・住の困難に耐えながら一人暮し(家族は郷里に疎開していた)で頑張っていた舅のもとへ、昔世話になったという人が炊きたてのエンドご飯を持って尋ねてきてくれた。

 食べ物に不自由していたうえに、日本人の大半が、他人に食べ物をあげる余裕がないのに、わざわざ持ってきてくれた心が嬉しくて、あんな美味しいものは、後にも先にも食べたことはない、と、舅は生前よく話していた。だから時季がくると「エンドご飯はまだか? まだか?」と催促するが、やはりあの時の味が忘れ難かったのだろう。毎年エンドご飯を食べながら当時を偲んでいた。

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 私が、エンドご飯と言うので、遊びにきてくれた孫たちがその言い方はおかしいと笑う。

「豌豆と漢字で書くから、エンドウご飯とか豆ご飯とか?」
「だって、子どもの頃からエンドご飯と言っていたから、それにお爺ちゃんもそう言ってらしたよ。でもエンドウご飯が正しいね。」

 孫の成長を喜びながら、多分私はこれからもエンドご飯と言ってしまうかも知れない。

(A・A)