2026年新春号

のれん紹介 大阪の駿河屋

【のれんの歴史】
大阪の駿河屋は、天保8年(1837)に京都・伏見の総本家駿河屋から分家し大阪淡路町に店舗を構えたのがはじまりである。
本家の総本家駿河屋は、寛正2年(1461)に岡本善右衛門が山城国伏見船戸庄で菓子製造業を創業したのが起源とされ、当初は屋号を「鶴屋」と称した。天正17年(1589)には、四代目・岡本善右衛門が紅羊羹を創案し、伏見羊羹と称して発売したとされる。文禄3年(1594)、豊臣秀吉の伏見城築城により諸大名が伏見に集まり、これら諸大名の交流により伏見名産の本の字饅頭や伏見羊羹が全国に広まることになる。
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のれん紹介 総本家小鯛雀鮨すし萬

【のれんの歴史】
すし萬の起源は、初代・河内屋長兵衛が承応2年(1653)頃に現在の中央区高麗橋4丁目付近で魚屋を開業したことにはじまる。のちに摂州西成郡上福島村の梅田橋付近(現、北区堂島3丁目)に雀鮨専門店「すし萬」を出店。なお、梅田橋付近は、花街である北の新地(曾根崎新地)の中心地として賑わっていた。また、江戸時代の前期に松江重頼によって編まれた俳諧論書『毛吹草(けふきぐさ)』には、約1000句の俳句・連歌とともに諸国の名産が列挙されているが、〈摂津〉の項目には福島村の名産として細木綿とともに雀鮨が紹介されている。さらに、雀鮨について「江鮒ナリ、腋ニ飯ヲ入タルガ雀ノゴトクフクルヽヲ以云之」とあり、「江鮒」すなわちボラの幼魚を用いた姿鮨のようなものが当時の福島村の名産としてすでに広く知られていたようである。現在でも、堂島川・土佐堀川にはボラの幼魚の大群が遡上している風景を目にすることができるが、当時、おそらく近くの堂島川などで獲れたボラを鮨にして花街の遊客などに提供していたのであろう。
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