旬のもの
春先になると、和菓子屋さんの店先が、にわかに華やかな雰囲気になり、草餅・桜餅・うぐいす餅等が新しく仕込まれて店頭を彩る。
先ず、ひな祭りの菱餅。なぜ菱形なのか? 宮中では正月に供える餅は、下が丸餅で、上に菱形の餅を重ねた。菱花びらというそうだ。上の菱形餅には薬草が搗きこんであった。後に上の菱形餅が、三月三日の菱餅となり、下の部分が、正月の鏡餅となったという。薬草を搗きこんだ菱餅が変化して、紅・白・緑を三つ重ねにして供えるようになったという。
春のお彼岸に団子はつきもの。日頃、洋菓子ばかり食べている人が、お彼岸に団子を食べているので驚いたことがあったが、「子どもの頃からずっと春・秋のお彼岸には、団子を食べるという習慣になっているから。母のことを思い出します。」と返事が返ってきた。それほど親しまれている団子は、奈良時代に中国から伝来した唐菓子の一つで、団喜といった。米の粉をこねて丸め。茹でて甘味料をぬったもので、今の団子とほとんど変わらないという。
「花より団子」というように、庶民に親しまれ、腹の足しにもなっていた。江戸時代の中頃になって、祭礼のとき、神社が厄除けとして売り出したのが、きっかけとなって、各地で流行し、砂糖や醬油も使えるようになって、種類も多くなり、名物団子が、各地でつくられた。
きび団子は、きびのたくさんとれる吉備の国<岡山県>で、きび粉でつくられた団子で、きび団子と桃太郎の話は有名だ。今はぎゅうひで作られている。
五月の端午の節句は、柏餅・ちまきを食し、菖蒲湯に浴して、男子の出世・健康・成長を祈り、お祝いする。菖蒲の葉を頭に鉢巻きして、弟と遊んだことが、遠い昔のことになり、懐かしく思い出される。
餅と団子の違いは? 資料によると、「日本書記」に推古天皇の18年(610)高麗僧曇徴(どんちょう)が来朝して、水力を利用する挽臼を造ったのにはじまるとあり、それまでは、全ての穀類は粒食していたので、粒・粉の区別をして、意識的に混同を避けるようになり、現在なおその遺風を残している。
即ち、粒食のモチにのみ「餅」の字を用い、粉製のモチは団子と名付けられた。餅は慶弔ともに用い、神前にも仏前にもお供えするが、団子は原則として仏前にのみお供えする。
東 雲 宣 子