煎茶道
茶道といえば、抹茶のお薄茶、お濃茶が、一般的に認識されがちだが、われわれに一番身近なものは、煎茶ではなかろうか?
そもそも<煎茶道>の起こりは、一人一服だった濃茶が、利休から飲み回しになり、それを好まぬ者も出たりした。そういうことから略式の薄茶になり、更に簡素な煎茶へと推移していったと考えられるむきもあるくらいだから、作法がどうのこうのというよりも、いかに美味しく茶を喫するかにある。
親しくしている煎茶道の師匠に、初めて<煎茶手前>の茶をいただいた時、舌の先でほろほろと転がるような、まろやかな美味しさに、目をみはったものである。
特別に上等のお茶かと聞いてみたら、特別に用意したものでなく、ごく普通に市販されている、家庭で使っている茶の葉であると聞き、感動したのを覚えている。
抹茶の場合は、ちょっとお薄が欲しいと思っても、常時使わないと、香りは失せるし、冷蔵庫に入れておいても、何時までも美味とはいえない。割合に不経済なものである。たまたま、<鶴屋八幡>の和菓子の到来物があったので、友人達を招いてお茶を楽しんでいるとき、そんな話が出た。すると、その中の一人がいみじくもいった。「要するに私達は、いつでも、お茶をゆっくりと楽しめる上流階級でないってことよ。」「???」「偶にはゆっくり楽しみたいわよ」「せめて、五服分くらいのが、売ってあればネー」それにひきかえ、煎茶は家にある茶で、いつでも、どこでも、欲しいときに飲める。
茶は、山茶科に属する常緑潅木で、芽及び葉で作った嗜好飲料の総称。主原産地は、東アジアのインドから中国とされている。中国産の茶種と製茶法を、くわしく伝えたのが、鎌倉時代初期の禅僧栄西である。法を求めて源平時代、仁安3(1168)年二十八才のとき渡航し、約半年で帰国後、再び兵氏滅亡後の文治三(1187)年四十七才のときに渡り、建久二(1191)年五十一才帰国の際に持ち帰った茶を、先ず筑前の背振山に植えたのが発端であった。
茶は、最初は限られた身分の人たちだけが、飲む高価なものであったが、次第に緑茶の生産量が増えたので、徐々に大衆化された。日常茶飯事という言葉もあるように、茶を飲むことは、ご飯を食すのと同様に日常化したのである。
常に誰もが、最良の茶の美味を引き出せるよう、手順を追っておこなうのが、煎茶道。美味しいお茶を入れようとする<おもてなし>の心と技があれば自ずから作法も備わってくるものである。
使用する茶は、玉露、煎茶、番茶、焙じ茶で、それぞれ玉露手前・煎茶手前・番茶手前といい、全てを纏めて<煎茶道>という。緑茶の製法が発達してからの煎茶式は、宇治の黄檗山が中心になり洛東詩仙堂の石川丈山が、日本における<煎茶>の開祖とされ、これを普及したのは、売茶(ばいさ)翁である。 東 雲 宣 子