●老舗の紹介● 株式会社鶴屋八幡「和菓子、いとおかしー大阪と菓子のこれまでと今―」
令和4年7月16日(土)~9月4日(日) 大阪歴史博物館にて、特別企画展として、江戸時代の大阪の菓子舗・虎屋伊織の伝統を継ぐ、鶴屋八幡(甘辛のれん会・加盟店)が、特別協力して、和菓子に関する様々な資料が紹介された。
7月31日(日)4階講堂にて、大阪歴史博物館館長と、鶴屋八幡取締役社長・今中智美氏との「大阪の菓子のこれまでと今」について対談された。
私は、事前予約して当日を楽しみにしていたが、その頃は、新型ウイルス・コロナが、右肩上がりに感染者が増加していて、不本意ながらキャンセルをした。会館には、予約なしで来られた方に一人でも入れたらと思って連絡しておいた。対談の様子が解れば、後日機会があればお知らせしたいと思っている。
平日の混んでなさそうな日を考えて、大阪歴史博物館を訪れたが、意外に多くの人々が、来ておられ、熱心に展示物を観察しておられた
元禄15年から17代続いた、名誉ある菓子の<虎屋伊織>が、幕末の動乱のなか、店を閉めることになり、伝統と技術を惜しんで、継承を勧められ、文久3年(1863)に鶴屋八幡が、創業した。
創業者の今中伊八は、幼少のころから虎屋伊織で修業を重ね、主人の信頼を得ていた。伝統の灯を守ろうと、虎屋伊織と同じ高麗橋に「のれん」を掲げた。
★摂津名所図会 ★浪速の賑ひ ★商人買物御案内 ★大日本土産図会 ★絵本十二支
★浪花大金持日々繁盛之富豪集 等々以下省略。
大切に保管されていた数々の貴重な文献や書物が、展示されていて<虎屋伊織><鶴屋八幡>の老舗・伝統の重さをずっしりと胸に受け止めた。
明治時代になり、洋菓子も文明開化と共に日本にやってきた海外の菓子を洋菓子、日本の菓子を和菓子と呼びわけた。明治33年(1889)のパリ万博で、出品された鶏卵煎餅は、銀賞を授与され、表彰状も展示されていた。
昭和の終戦直後の混乱期に和菓子などの食文化を広く伝えようと食の雑誌「あまカラ」を刊行。武者小路実篤や司馬遼太郎ら著名な作家たちも寄稿している。昭和26年(1951)~昭和43年(1968)の200号にて終刊。甘辛春秋を昭和44年(1969)~昭和48年(1973)まで刊行。和菓子・食文化の普及に努めた。
<鶴屋八幡>は春夏秋冬・季節に合わせた和菓子をつくる。和菓子の良さを大切に、人々を笑顔にする和菓子つくり、江戸時代の伝統を大切にしながら、時代のニーズに応えて、新しい伝統もつくりながら、美味しい和菓子をつくり続けて行くのである。
この季節は、年末年始の贈答用・迎春用・来客用・新春初釜用の和菓子を各種揃えてご用命をお待ちしている。
梶 康子