●老舗と私
★長崎堂・カステーラ
大正8年の創業から今日まで、代々築かれた歴史と伝統、精神は燦然と輝き、製品に引き継がれている。そして、カステーラ以外の多彩な洋菓子の数々にも受け継がれているのである。
洋の東西を問わず、世の母親は我が子のため、愛する家族の為に、心を込めて料理をしおやつを作る。美味しものを食べている時に、自然にこぼれる素敵な笑顔を思い浮かべて、大切な人の為に愛を込めて作る。
長崎堂のカステ-ラや洋菓子にはそんな暖かい心を感じる。上質の卵・砂糖・バター・粉等、菓子職人がそれらを使って、魔術師のように幻想的な美しい菓子を作りだせるのは、何物にも代えがたい母親のような優しさと、愛の心に加えて、もちろん永年の伝統と、磨き抜かれた技術があってのことである。時代は、移り行くとも、一人でも多くの方に喜ばれる菓子作りにとっての良心は変わることはないのである。
長崎堂の基本はいうまでもなく、伝統の手づくりの味である。機械でできる部分は機械で決めて、肝心なポイントは人の手で、そして、豊かで穏やかな心があってこそ、良い菓子が出来るという信念で、大切に作り上げている。
私の母は、お子さんのいるお家への進物・手土産は、長崎堂のカステーラと決めていたが、戴くのも、子どもがいるからか、どうか理由は解らないが、長崎堂のカステーラが多かったような気がする。
幼い頃、風邪引きで寝ていると、必ず長崎堂のカステーラを持って見舞いに来て下さる方が居た。
食欲のない時は、口当たりが良くてとても美味しかった。何らかの都合でその方が来て下さらなかった時、待ち望んでいる私を可愛そうに思って母がこっそりと長崎堂へ人を走らせて、買ってくれた時もあった。
第二次大戦の日本が敗色濃くなったある日、その方が訪ねて来られ「疎開することになりました。もうお会いすることもできませんが、」と涙ながらに色々語られて、「長崎堂のカステーラの足元にも及びませんが、手造りで一生県命つくりました。」とカステーラを置いて行かれた。
材料が手に入らないので、思うように腕が振るえず、出来が悪いのは、自分の力不足のせいだと、恐縮しながら、残念だと何度も言いながら、帰って行かれた。
その方は、私にカステーラを買う度に、自分用にと小さいのを買って、カステーラの作り方を研究して、自家製を家族の為に作っておられたらしい。
後でその話を母から聞かされて、涙が止まらなかった。多分その方は、自分なりにいつか美味しいカステーラを、私の為に作ってあげたかったに違いない。その為に、本物のカステーラを試食しながら、美味しいものをと、精進して下さっていたのだと思う。戦時中のことゆえ、あるだけの材料でつくったものの思うように出来なくてどんなにつらかっただろうと、幼い胸を痛めた想い出は、いつまでも忘れられない。
その後、私たちも疎開して、わが家も戦災に会い、その方とお会いすることがなく、悲しみと共に、あの時戴いたカステーラの味が頭のなかに甦ってくる。
梶 康子