老舗と私 株式会社 ちもと

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ちもとは、先代、松本繁が、東京の老舗「ちもと」より分かれ、昭和の初期に江戸菓子の<のれん>をかかげ、大阪平野町に進出し、昭和29年に株式会社組織とし、食文化の発達した大阪にあって、江戸菓子の老舗としての地位を築きあげた。
関西風の菓子に親しみきっている関西にあって、堂々と老舗の誇り高く「のれん」を守っている。あくまでも、お客様の身になって、作られたお菓子の一つ一つに細かい心づかいが感じられて、心が癒されるからであろう。

随分昔のことである。長男を身ごもった時、つわりがひどく、出産間際まで苦しんだ。案じた夫は、なんとか食べられる物をとあれこれ心配してくれていたが、殆どお腹に納まらなかった。
そんなある日、「ちもと」の<萬寿萬寿(ますまんじゅう)>を買ってきてくれた。ますます繁盛するようにと、桝型の上皮に中は白アン。「商売人の子や。縁起の良い萬寿萬寿ならキット食べてくれるよ」夫はお腹の赤ちゃんに、言い聞かせるように、祈る思いで、私が、萬寿萬寿を包んであるセロファンを、ゆっくりとはかす手許を見つめていた。
私はなぜかこのお菓子は食べられそうな気がして、静かに口に入れた。
すんなりと、食べられた時のあの感激、美味しさ、嬉しかったことは、今でも覚えている。夫は欠かすことなく、わざわざ「ちもと」まで買いに行ってくれたのである。
桝型のしっとりとした皮と、白アンがほど良く調和していくつ食べても飽きない。それは、<ちもと>が丹精に、心を込めて、こしらえてあるからである。<ちもと>の精神が凝縮されているのである。
初めて<ちもと茶寮>へ行った時、メニューに「吹き寄せ」とあったので、どんなものだろうと思って、注文して、期待していると、お抹茶茶碗にフタをしたものが出てきた。フタを取って見ると、大阪でいう<かやくご飯>がオツにすました感じで、納まっているではないか。ビックリすると同時に思わず笑いがこみ上げてきて、周囲の人に悟られないようにするのに困った。
吹き寄せが<かやくご飯>だったとは。知らなかった。よく考えてみれば、お菓子の吹き寄せだって、いろいろ混じっているではないか。美しい呼び名は、お茶碗にぴったりで、単なる、かやくご飯>とは一風変わった格調の高さがあり、「ちもと」だからこその<味>を醸し出していた。
「ちもと」はお菓子も一流だが、茶寮も一流なのだ。器にも細かい心配りが伝わってきて、ほのぼのと満足させてくれる。
早速、友人達にこのことを言うと、、<大阪のおばちゃまたち>は、そんなこと知らなかったと言うことになり、みんなでで行こうということになり、日を改めて再び<ちもと>の茶寮へ出かけたことは言うまでもない.。
梶 康子