☆花によせて<ふきのとう>

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 三人の子どもの母ともなれば、時が来れば否応もなく、一応は受験戦争に巻き込まれる。親それぞれの考え方もあって、落差はあっても大なり小なり関わることになる。
 私も例にもれず今でこそ、これらから解放されたが、当時は世間並みに我が子のテストの点数に一喜一憂し、偏差値に全く無関心というわけではなかった。
 三人三様の性格を考えて、表面的には、平静を装っているけれど、心の中では、毎日祈る思いで、一日、一日を過していた。

 母親同士で話し合ったことだが、中学1,2年生のうちは、反抗期と重なって、難しい子らであったが、3年生になってくると、受験という大きな目的の為に、その子なりに頑張る姿がいじらしく、母親なりに、毎日健康管理など、母として出来ることに懸命だった。ある意味では、子育ての中で、親子の絆が結ばれ、充実したときであり、またエネルギーを使い果たしたときでもあった。

 大学受験となると、母子一丸となって突進することもなくなり(たまにはいるが)本人達は自分の実力、将来のことを考えて、自分で決めるので、ある程度のアドバイスはするが、距離をおいて見守るしかない。
 難解さゆえに何も教えてあげられない。ひたすら夜食づくりに精を出す事になる。
もやもやとしたもどかしさのなかで、受験の結果を待つ辛さ。でも息子は、言ってくれた、「毎晩の夜食が待ち遠しかったよ」と。この一言で、私の苦労も消えてしまった。

 そんな日々のある時、庭の片隅に植えてあった<ふき>が、蕾をもっていた。枯葉の下でひっそりと春を待っていたのである。見つけてくださったのは隣家の奥さんで、私。は、庭に目をやる心の余裕もなかったのである。
 受験一色の私の心は、久方ぶりに感動に揺れた。小さな花でさえ、こうしてじっと耐えて己の咲く春を待っているのだ。いくら焦っても<とき>が来るまで花は開かない。無理に咲かせようとしたら、柔らかい花びらは、ちぎれてしまう。自然の摂理を改めて認識させられ、それからの私は、余裕をもって子に接することができた。
 親が、落ち着いていれば、以心伝心で、子の情緒も安定するのではなかろうか。

 私もこの機会に勉強してみようと、「傾向と対策」という受験書を頼りに、子とともにラジオ講座で学んだ。英語の「ニョロニョロing」の先生、あの古文の先生の声。忘れえぬ、私の<宝>の思い出である。嵐のように過ぎた受験時代も今から思えば、嘘のようだが、世間ではまだ続いているのだ。受験生の皆さん健康に気をつけて、頑張ってください。そして皆さんの花を咲かせてください。          梶 康子