月号折々の詩

setsubun.jpg節分のこと

子どもの頃、毎年節分になると、各家々の軒先に、いわしの頭を柊の枝に刺してあったのを覚えている。魔よけのおまじないなのだが、幼い私にとって、夢にまで出てくるくらいいわしの頭が、不気味だった。

 節分の夜の膳には、麦ご飯と、必ずいわしの焼いたのが、一尾ずつ大根おろしと共にお皿にのっていた。母はいやがる子どもたちに言い聞かせた。
「どんなに貧乏しても、せめて麦ご飯といわしぐらいは食べられますように、と言うおまじないなのだから、残さずに食べなさい」
 兄や姉たちは、なにしろいわしを食べないと、次の『おかず』をもらえないものだから、さっさと食べて、ご馳走をもらっていた。いわしの好きでなかった私は、いわしを少しだけ口に入れて、ごはんを沢山飲み込むものだから、お腹が一杯になってしまって、いつもご馳走は食べられなかった。

「福はー内、鬼はー外」節分の厄祓いの豆は、ずっとさかのぼって、藤原時代から高貴の供物になり、数ある節句や、あるいは由緒ある式膳に使われていた。「マメで達者で過せるように」と、古来より豆はお祝い事に必ず使われていた。結婚式・出産・新入学・新入社・竣工式などの人生の節目に内祝い、引出物として幅広い用途がある。1年の節を分ける節分に、今年こそ良い年でありますようにと願って豆をまく。

 私は豆煎りが性に合っているのか、母のお手伝いをよくした。現代の言葉で言えば、リビングだが、そんなシャレタものでなく、昔の板の間になっている台所に座布団を敷いて、レンタンコンロの前にチョコンと座り、ホーラク鍋に少量の大豆を入れ、コンロの通気口の蓋を開閉して、加減しながら火勢の強弱に注意し、ころころと長箸で大豆を転がしながら、煎るのである。
 面倒だからと大豆の量を多くして、強火で焦がすと、なまくさくてとても食べられたものではない。根気よくジックリと煎り上げるのが、美味しい豆を煎るコツである。大家族だったので、数回やらなければならなかったが、長い箸を横加減に持って動かし続けた。
 煎った豆は、数え年+1の数に+家族全員の総数(これは神様に捧げるもの)と家族各々がいただくのを用意し、氏神様にお参りして家族全員の豆を奉納し、家に帰って自分の豆をいただいた。
 いよいよ豆まきである。余分に煎った豆を大きな声で、「福はー内、鬼はー外」。

 豆まきの後は、玄関も窓も開けたらいけないと言われていた。内にこもった福の空気を逃さないようにとの願いからである。縁起の良いものをいただくと、何かいいことがありそうな」、ほのぼのとした心が通い合うのも人情というものである。
  
梶 康子