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のれん誌
2025年12月発行

のれん紹介 大阪の駿河屋

【のれんの歴史】
大阪の駿河屋は、天保8年(1837)に京都・伏見の総本家駿河屋から分家し大阪淡路町に店舗を構えたのがはじまりである。
本家の総本家駿河屋は、寛正2年(1461)に岡本善右衛門が山城国伏見船戸庄で菓子製造業を創業したのが起源とされ、当初は屋号を「鶴屋」と称した。天正17年(1589)には、四代目・岡本善右衛門が紅羊羹を創案し、伏見羊羹と称して発売したとされる。文禄3年(1594)、豊臣秀吉の伏見城築城により諸大名が伏見に集まり、これら諸大名の交流により伏見名産の本の字饅頭や伏見羊羹が全国に広まることになる。
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のれん紹介 総本家小鯛雀鮨すし萬

【のれんの歴史】
すし萬の起源は、初代・河内屋長兵衛が承応2年(1653)頃に現在の中央区高麗橋4丁目付近で魚屋を開業したことにはじまる。のちに摂州西成郡上福島村の梅田橋付近(現、北区堂島3丁目)に雀鮨専門店「すし萬」を出店。なお、梅田橋付近は、花街である北の新地(曾根崎新地)の中心地として賑わっていた。また、江戸時代の前期に松江重頼によって編まれた俳諧論書『毛吹草(けふきぐさ)』には、約1000句の俳句・連歌とともに諸国の名産が列挙されているが、〈摂津〉の項目には福島村の名産として細木綿とともに雀鮨が紹介されている。さらに、雀鮨について「江鮒ナリ、腋ニ飯ヲ入タルガ雀ノゴトクフクルヽヲ以云之」とあり、「江鮒」すなわちボラの幼魚を用いた姿鮨のようなものが当時の福島村の名産としてすでに広く知られていたようである。現在でも、堂島川・土佐堀川にはボラの幼魚の大群が遡上している風景を目にすることができるが、当時、おそらく近くの堂島川などで獲れたボラを鮨にして花街の遊客などに提供していたのであろう。
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のれんメール

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 のれん令和6、10,11,12月号
●真白に 又真黒に 渡り鳥      梅 室(十 月)
●詣で来て 神有月の 大社かな    雨団子(十一月)
●風邪癒えて 髪艶やかに あげにけり 水汲女(十二月)
                    新歳時記より

●秋しぐれ 嵯峨野路歩き 青春(はる)想う   宣 子
●冬ざれや 春の賑わい 待ちかねて       宣 子
   

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●行事と食文化

栗▲十月は十四日スポーツの日。この日を中心にして、運動会が開催される。コロナ禍以来、そのあり方が変化してしまい、さて、今年はどんな形態で行われるのだろうか? 走りの競争に苦手だった私は、賞に入ったことがなく、いつも1等賞の姉を羨ましく思ったことを思い出す。母になり、長男が早くて、1,2を争い、次男がそうでないので、つい、次男に優しくなり、少しのことでも褒めてあげ、励まして、運動会が済めばやれやれとホットしたのを覚えている。長じて次男にそれとなく聞いてみたら、私が、思っていた程こだわっていなかったので、安心したことであった。
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●十二月の旬

3062762_m △十二月二十一日は冬至。二十四気の一つで、年間で最も日の短い日。太陽暦では、重要な年中行事であった。一陽の嘉節とも称され、日本でも禁中の公事として、この日天皇は南陵に出御、諸卿の賀表を受けられていたことがあり、民間でも餅・団子をつくって祝い、また、この日に南京を食せば、中風に罹らず、柚子湯に入れば無病息災を得ると伝えられて、今もその余風は健在である。
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