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	<title>甘辛のれん会 &#187; 2011年夏号</title>
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	<description>甘辛のれん会のウェブサイト</description>
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		<title>のれんメール</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 01:00:40 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>東日本大震災の犠牲者の方々に心より哀悼のお祈りを捧げ奉ります。　　合掌。そして、被災された皆様方には、数々の困 [&#8230;]</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>東日本大震災の犠牲者の方々に心より哀悼のお祈りを捧げ奉ります。　　合掌。<br />そして、被災された皆様方には、数々の困難を乗り越えて、復興へと頑張っていただきますように、お見舞い申しあげます。</p>
<p>日本人にとって未曾有の大災害に襲われましたが、被災しなかった西日本の我々も、伝わってくる報道に心を痛め、痛恨の極みでございます。現地へボランチアにいけない人は、義援金に募金したりして、人として当然のことをしております。一日も早い復興をお祈りしております。</p>
<p>　　　＜被災された方への　お見舞いは　心豊かにしてくれる　老舗の品を＞</p>
<p>　　　　　　　　　　　　甘辛のれん会　　すし萬・主人　　小　倉　宏　之<br />
<span id="more-120"></span><br />
＜贈り物は　真心　一筋　のれんの品＞</p>
<p>☆　ビール　　　　　アサヒビール㈱・サントリー㈱<br />☆　清　酒　　　　　日本盛㈱・大関㈱・菊正宗酒造㈱・長龍酒造㈱<br />☆　醤　油　　　　　ヒガシマル醤油㈱<br />☆　うなぎ　　　　　（合）菱富<br />☆　うどんすき　　　㈱美々卯<br />☆　一品料理　　　　㈱正弁丹吾亭<br />☆　寿　司　　　　　雀ずし㈱小鯛雀鮨鮨萬・大阪寿司㈱吉野<br />☆　菓　子　　　　　御菓子司㈱鶴屋八幡・江戸菓子㈱ちもと・羊羹㈱大阪の駿河屋<br />　　　　　　　　　　カステーラ㈱長崎堂・粟おこし㈱あみだ池大黒<br />☆　蒲　鉾　　　　　大寅蒲鉾㈱<br />☆　昆　布　　　　　㈱小倉屋山本・小倉屋㈱・㈱松前屋<br />☆　味　噌　　　　　米忠味噌㈱<br />☆　お　茶　　　　　㈱先春園本店</p>
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		<title>花物語　＜桑・くわ＞</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 01:00:30 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>イヤだといっても、毎年八月はやってくる。昭和20年8月15日に第二次大戦は終戦の玉音放送で終わりを告げたが、そ [&#8230;]</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img110_kuwa.jpg" class="pict_right" alt="くわ" title="くわ" width="250" height="167" /><br />イヤだといっても、毎年八月はやってくる。昭和20年8月15日に第二次大戦は終戦の玉音放送で終わりを告げたが、その十日ほど前のことであった、<br />　大阪の家を空襲で焼かれ、奈良県の知り合いを頼って疎開をしていたが、日本人の殆どが、毎日の食べるものに不自由していた。父は東シナ海で戦死しているので、母は6人の子でもをなんとか食べさせていかなければと、友人に頼んで田んぼを貸してもらった。見よう見まねで、田んぼを耕し、梅雨の頃に泥まみれで、田植えを終えて、その日は二人で雑草をとりに行った。<br />
<span id="more-119"></span><br />
その日も＜空襲警報＞のサイレンがなっていたのだが、大阪に住んでいた頃は、いち早く防空壕に飛び込んだものだが、疎開をしてからは、米軍機は、大阪・神戸への往復の為に通過するだけだったので、のんびりと草取りを続けていた。私はノドが乾いたので土手の桑の木の下で、持参のお茶を飲んでいた。<br />　そのときである。突然Ｂ29が、母を目がけて急降下してきて、母に対して機銃掃射をしてきた。恐ろしさに声も出ない私に母は叫んだ。「動いたらアカン。じっとしときなさい」母はとっさに手を頭にかざし、たんぼに＜伏せ＞た。敵機は母の伏せっている周囲を二周りして去っていった。恐怖で動けなかったのが、後で思えば幸いだったのだが、なんと、また母を目がけて急降下してきたのである。私は必死に母の無事を祈っていた。神か仏かとっさのことで、無我夢中でひたすら祈った。<br />　敵機が去って、二人はまた敵機がくるかと心配で動けなかったが、暫くしてもしや母の背中に弾丸が当たったのかと、恐る恐る母の側へ行って見ると、母はあまりの恐怖で、体が硬直し動けなかった。それでも母は田んぼに埋まった為に泥だらけの顔でニッコリ笑ってくれた。私は泥だらけの母にしがみついて大声で泣いた。そして泥だらけのお互いを見て大声で笑った。<br />　広島に原爆が落とされてから、母は「日本は負ける」と言い出すようになった。あんなことを経験してからは、毎日のように言うので、「そんなこと言ったら憲兵に、捕まるよ」と言っても母は終戦の日まで言い続けた。<br />　終戦のラジオを聴いた母は「それ見てみ。」と叫んだ。当時の子どもたちは学校で、「いざ、と言うときは神風が吹いて日本は必ず勝つ」と教え込まれ、洗脳されていた。私は「この戦争早く終わってほしい」と思っていたが、勿論、「勝つ」と信じていただけに、そんな母に反発を感じたのを覚えている。今にして思えば、家族の大黒柱の夫に戦死され、家は焼かれ、兎に角、残された子どもを育てなければと、必死に生きている時に、死の恐怖に晒されたのだから、無理もないのである。<br />　当時、多感な少女だった私は、私の身を守ってくれた桑の木の下で色々と考え、本を読んだ。四月頃に花が咲き、やがてイチゴに似た実を結ぶ。時々実を口にしながら、また本を読み続けた。大阪へ帰ってくる三年ほどの間、桑の木は私を優しく包んでくれた。あのときのように‥‥‥。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　梶　　康　子</p>
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		<title>ビール</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 01:00:20 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>ビール醸造の期限は遠くエジプトから始まり、その法がギリシャからローマに伝わり、やがてヨーロッパ中部に及んでドイ [&#8230;]</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img109_beer.jpg" class="pict_right" alt="beer" title="beer" width="250" height="167" /><br />ビール醸造の期限は遠くエジプトから始まり、その法がギリシャからローマに伝わり、やがてヨーロッパ中部に及んでドイツ・ベルギーから海を越えてイギリスに渡り、最初はいずれも家庭的工作で自家用には主婦のほか、やや大量に造るにはもっぱら僧院で醸造していたが、やがて消費量の増加と機械工業の発達により、ことに十八世紀末の科学的勃興により大規模な醸造所が続出した。<br />
<span id="more-118"></span><br />
初期のビールは、現今のようなものでなく、主原料とする大麦に水と麦芽を加えて自然醗酵させるだけの単純な方法であった。そこへホップを加えて、苦味と芳香とを添えたのは十世紀頃のドイツからで、現在ドイツがビールの本場といわれる所以だが、醸造高において、勝っていたイギリスは、当時の新香味をあまり好まなかったため、旧来の国称「エール」でこだわるうちに、いつしか大陸の嗜好から取り残されていった。しかし、それがかえって蒸留酒ウイスキー発生の動機となった。アイルランドで試みられたが、気候的関係からスコットランドに移り、ウイスキーの本場として貯蔵期間が長いほど優良化するオールドスコッチが代表的となっている。<br />　十六世紀末頃、日本に来たオランダ人達はビールを小さな船にビア樽を積んで来たが、日本人は、ビールを口にしていなかった。享保年間＜八代将軍吉宗の時代＞に、杉田玄白はビールを飲んでいるが「何の味わいも無い」と書き残している。始めてのことでどうやら口に合わなかったらしい。<br />日本で始めてビール醸造を試みたのは、幕末の頃蘭学者の川村幸民が、オランダ風にならったのに発するが、それは単なる試験的の域にすぎなかった。<br />　★明治七年はじめて国産のビールが。市場にデビュー。醸造高年間二百石<br />　★明治31年、日清戦争の景気にあおられて、五万五千余石<br />　★明治41年、日露戦争後、十三万八千石<br />　★大正末期　九十万石<br />　★昭和になって、一般に普及しだしたが、第二次大戦の敗戦により、普及しかけたビールは、再び庶民から遠のく。<br />　★昭和30年後半の高度成長期に入り、どんどん普及し、女性愛飲者も増加の一途をたどり、うなぎ登りにビールの生産量も成長した。<br />　★平成に入り需要は益々増大し、缶ビールの多様化が拍車をかけ、留まる所を知らない盛況である。<br />　◎乾杯好きの日本人は、家庭で、職場で、グループで、ことあるたびに乾杯をする。<br />　　しかも殆どがビールで乾杯をする。今後もまだまだ需要が増え続けるだろう。</p>
<p>　甘辛のれん会の会員、アサヒビール(株)・サントリー(株)は日本ビール業界を常にリ<br />ードし、躍進を続けている。　　　　　　　　　　　　　　　　葛　城　陽　子</p>
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		<title>日本酒冷酒</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 01:00:10 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[2011年夏号]]></category>

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		<description><![CDATA[<p>★本来日本酒は冷用するのが、原則と聞いたことがありますが？ その通りです。日本酒は冷用するのが原則であり古儀で [&#8230;]</p>
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]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img108_reishu.jpg" class="pict_right" alt="mochi" title="mochi" width="250" height="167" /><br />★本来日本酒は冷用するのが、原則と聞いたことがありますが？</p>
<p>その通りです。日本酒は冷用するのが原則であり古儀でもあります。祭祀に用いる神酒をはじめ、冠婚の儀礼・本膳式などの場合、燗酒を用いないのが立証されています。</p>
<p>★温めて呑むようになったのは、いつの頃からでしょうか？<br />
<span id="more-117"></span><br />
平安時代以降かららしく「貞順故実聞書条々」に藤原冬嗣の言として、酒の燗は九月九日から三月二日までと記されている。天長二（825）年十月、嵯峨天皇が交野ガ原に遊猟の際、供奉の冬嗣（閑院左大臣）が燗酒をすすめて賞美されたともいうから、この左大臣あたりがはじめかもしれません。<br />中国では紹興酒を熱燗にし、ヨーロッパでも冬季に限り葡萄酒を暖めることはありますが、日本でも最初は気候の関係で、温めていたのが、いつの間にか日本酒といえば、燗をするのが、通念のようになりました。<br />むかしは、鍋または銚子に入れた酒をそのまま直火で温めていたらしく、文化時代には鍋または錫製のチロリと称する筒状の器に入れて湯煎にし、畿内では天保頃までこれを主用していましたが、江戸ではすでに燗徳利が流行し、明治以後はもっぱら徳利で、チロリや鳩燗と称する類似の容器は、稀に好事家の間に用いられるにすぎなくなった一面、大衆用として特殊の酒燗器が発明され、温度計のついた管を通じて、自動的に適温の燗酒が流出する装置のものが重宝されるようになります。由来「燗は人肌」といわれるのは優良酒を標準とした諺です。<br />同じ日本酒でも関東と関西とは嗜好が異なり、東京では淡味な甘口が歓迎されるのに対し、歴史の古い京阪ではなお辛口が賞美される。東京向きには広島出身の杜氏、地回りには丹波出身の杜氏・蔵人を使用したというほどであります。<br />急激な経済成長期以後、人口の移動も急激に変化し、関東の人は関西へ、関西の人は関東へ転勤し、その土地に馴染む人もあれば、故郷の味にこだわる人もあり、地域による区別はなくなっていきました。<br />日本酒を嗜む女性の人口も多くなり、日本酒の趣向も多様になり、日本酒フアンにとって楽しい事で、酒の肴によってメーカーを決め、銘柄を決める自分なりのこだわりをもつのも料理を楽しむコツともいえましょう。冷たい料理には冷酒を、しかも甘口、辛口を使い分ける醍醐味は真のツウへの道程でしょうか。<br />甘辛のれん会、会員の日本盛・大関・菊正宗・長龍各社の冷酒は家庭料理や宴会料理にもよく合うので、なにかにつけて愛飲していて、皆様に推薦しています。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　     　御　園　弥　生</p>
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		<title>スタミナの魚</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 01:00:00 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>●うなぎ海に生まれて河沼に成長し、大西洋では全ヨーロッパ、北アメリカ及び西インド地方、太平洋では日本及びシナ海 [&#8230;]</p>
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]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img107_unagi.jpg" class="pict_right" alt="mochi" title="mochi" width="250" height="166" /><br />●うなぎ<br />海に生まれて河沼に成長し、大西洋では全ヨーロッパ、北アメリカ及び西インド地方、太平洋では日本及びシナ海沿岸、豪州東南岸からニュージーランド諸島方面に分布するが、北方には少なく、わが国でも北海道の東南岸以北には見られないと言う。<br />
<span id="more-116"></span><br />
夏の中でも最も暑いとされる土用の酷暑をどう乗り切るかということは、昔の人々にとって重要なことであった。土用丑の日にうなぎを食べるようになったという平賀源内の話はよく知られているが、江戸時代より古い平安時代には土用を無事に過ごすために、いろいろな習慣があり、うなぎを食べるのもそのひとつだった。<br />平安時代よりまだ古い奈良時代に、既に「万葉集」に大伴家持が痩せている石麻呂に贈った歌として<br />“石麻呂にわれ物申す夏痩によしといふ物ぞむなぎ(うなぎ)取り召せ”<br />とあるのを見ても、この頃の人が、うなぎに滋養があることを知っていたのである。うなぎを開いて付け焼きにしはじめたのは、もともと関西で始まり、江戸でもそのまま踏襲していたが、寛政（1789～1800）以後江戸料理の発達とともに、独自の調理法に変った。今も関西では、腹からさくが、東京では、背開きにしている。一説によると、江戸は武士の町だから、腹からさくのは切腹に通じるのを忌み嫌ったからだと言う。<br />イタリアでは、古くローマ時代から養殖が行われ。フランスでも飼育されるものがあるという。わが国で養殖の始まったのは明治中期以後で、大正以降盛んになった。主産地方は東京・千葉・神奈川・静岡・愛知・三重・などで、養殖の技法が改善され、近年とくに著しい発達を見せ、現今では殆ど区別されないまでになった。<br />★甘辛のれん会加盟の大阪ミナミ宗右衛門町にある＜菱富＞は、大阪では珍しい江戸風焼きの伝統を守る老舗で、うなぎを背開きにするのを本格としている。江戸風の蒲焼は、焼く途中で蒸して、タレをかけて仕上げてあるので、やわらかい。<br />＜菱富＞は、うなぎ料理を格調あるものとし、大阪にあってなおも江戸風を堂々と守り続け、今日に至っている。<br />●あわび・鮑<br />あわびには、アルギニンが多く含まれている。夏バテを防ぎ、スタミナをつける食品として珍重されているが、高価なゆえに馴染みがうすい。<br />あわびは巻き貝である。巻き貝の種類は、三万以上もあるといわれといるが、肉食性のもの、草食性のもの、雑食性、プランクトンだけを食べるものに分類される。あわびはその中の草食性で、こんぶなどの海藻を噛んで摂取している。<br />　先史時代、われわれの祖先は、あわびを食べていた。貝塚からあわびの殻が多く出てくることから解る。殻を器としても用いていたのである。まさに先人の知恵である。</p>
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