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	<title>甘辛のれん会 &#187; 2014年夏号</title>
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	<description>甘辛のれん会のウェブサイト</description>
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		<title>のれんメール</title>
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		<pubDate>Mon, 26 May 2014 08:23:23 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[2014年夏号]]></category>

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		<description><![CDATA[<p>　　　★　下に立ち見上げし杉や夏木立　　　　立　子（六月）　　　★　古家や草の中より百合の花　　　　　成　美（ [&#8230;]</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img9_illust05.jpg" class="pict_right" alt="illust05.jpg" title="illust05.jpg" width="180" height="149" /><br />　　　★　下に立ち見上げし杉や夏木立　　　　立　子（六月）<br />　　　★　古家や草の中より百合の花　　　　　成　美（七月）　<br />　　　★　梶の葉を朗詠集の栞かな　　　　　　蕪　村（八月）<br />　　　★　山間の霧の小村に人と成る　　　　　虚　子（九月）<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　新歳時記より<br />
<span id="more-174"></span><br />
　　　　＜いつの世も　老舗の　品は　喜ばれ＞</p>
<p>　この時期は、食品を扱わせていただいている我々にとって、最も緊張する季節で御座います。ご購入いただきましたらば、なるべく早くお召し上がり下さい。お味のほうも美味で御座います。<br />　ご進物・御土産等、信頼のある＜のれん＞を誇る当＜甘辛のれん会＞の老舗の品を、お選び下さい。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　甘辛のれん会　すし萬主人　小　倉　宏　之</p>
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		<title>煎茶道</title>
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		<pubDate>Mon, 26 May 2014 08:21:12 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>　　茶道といえば、抹茶のお薄茶、お濃茶が、一般的に認識されがちだが、われわれに一番身近なものは、煎茶ではなかろ [&#8230;]</p>
<p>投稿<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com/2014/05/26/post173/">煎茶道</a>は<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com">甘辛のれん会</a>の最初に登場しました。</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img166_file.jpg" class="pict_right" alt="201406sadou" title="201406sadou" width="180" height="149"  /><br />　　茶道といえば、抹茶のお薄茶、お濃茶が、一般的に認識されがちだが、われわれに一番身近なものは、煎茶ではなかろうか？<br />　そもそも＜煎茶道＞の起こりは、一人一服だった濃茶が、利休から飲み回しになり、それを好まぬ者も出たりした。そういうことから略式の薄茶になり、更に簡素な煎茶へと推移していったと考えられるむきもあるくらいだから、作法がどうのこうのというよりも、いかに美味しく茶を喫するかにある。<br />　親しくしている煎茶道の師匠に、初めて＜煎茶手前＞の茶をいただいた時、舌の先でほろほろと転がるような、まろやかな美味しさに、目をみはったものである。<br />　特別に上等のお茶かと聞いてみたら、特別に用意したものでなく、ごく普通に市販されている、家庭で使っている茶の葉であると聞き、感動したのを覚えている。<br />
<span id="more-173"></span><br />
　抹茶の場合は、ちょっとお薄が欲しいと思っても、常時使わないと、香りは失せるし、冷蔵庫に入れておいても、何時までも美味とはいえない。割合に不経済なものである。たまたま、＜鶴屋八幡＞の和菓子の到来物があったので、友人達を招いてお茶を楽しんでいるとき、そんな話が出た。すると、その中の一人がいみじくもいった。「要するに私達は、いつでも、お茶をゆっくりと楽しめる上流階級でないってことよ。」「？？？」「偶にはゆっくり楽しみたいわよ」「せめて、五服分くらいのが、売ってあればネー」それにひきかえ、煎茶は家にある茶で、いつでも、どこでも、欲しいときに飲める。<br />　　茶は、山茶科に属する常緑潅木で、芽及び葉で作った嗜好飲料の総称。主原産地は、東アジアのインドから中国とされている。中国産の茶種と製茶法を、くわしく伝えたのが、鎌倉時代初期の禅僧栄西である。法を求めて源平時代、仁安３（1168）年二十八才のとき渡航し、約半年で帰国後、再び兵氏滅亡後の文治三（1187）年四十七才のときに渡り、建久二（1191）年五十一才帰国の際に持ち帰った茶を、先ず筑前の背振山に植えたのが発端であった。<br />　<br />　　茶は、最初は限られた身分の人たちだけが、飲む高価なものであったが、次第に緑茶の生産量が増えたので、徐々に大衆化された。日常茶飯事という言葉もあるように、茶を飲むことは、ご飯を食すのと同様に日常化したのである。<br />　常に誰もが、最良の茶の美味を引き出せるよう、手順を追っておこなうのが、煎茶道。美味しいお茶を入れようとする＜おもてなし＞の心と技があれば自ずから作法も備わってくるものである。<br />　使用する茶は、玉露、煎茶、番茶、焙じ茶で、それぞれ玉露手前・煎茶手前・番茶手前といい、全てを纏めて＜煎茶道＞という。緑茶の製法が発達してからの煎茶式は、宇治の黄檗山が中心になり洛東詩仙堂の石川丈山が、日本における＜煎茶＞の開祖とされ、これを普及したのは、売茶（ばいさ）翁である。　　　　　　　　　東　雲　宣　子</p>
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		<title>ふるさとを訪ねて＜滝泉寺（奈良県、吉野、北山村）＞</title>
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		<pubDate>Mon, 26 May 2014 08:19:50 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>　悠久の歴史の中で、平凡ながら人生を全うする者と、その家系に生まれたばかりに幼い命を心ならずも断たれ、悲しみを [&#8230;]</p>
<p>投稿<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com/2014/05/26/post172/">ふるさとを訪ねて＜滝泉寺（奈良県、吉野、北山村）＞</a>は<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com">甘辛のれん会</a>の最初に登場しました。</p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img167_file.jpg" class="pict_right" alt="201406tera" title="201406tera" width="180" height="149" /><br />　悠久の歴史の中で、平凡ながら人生を全うする者と、その家系に生まれたばかりに幼い命を心ならずも断たれ、悲しみを残して死んでいった人たちも多くいる。歴史を学び、物語を読むたび、やりきれない怒りと哀惜の想いを感じるが、今回滝泉寺を吉野の山深く訪ねた。臨場感がそうさせるのだろうか、胸が痛む思いをした。<br />　後醍醐天皇の文保年間より後亀山天皇の元中年間末に到るまでの57年間、南北両朝が皇位を争った。いわゆる南北朝時代のことである。後亀山天皇は、元中９（1392）年<br />北朝の申し出に応じ元中の盟約を結んだ。<br />　１、父子の礼を以って神器を北朝の後小松天皇に譲る。<br />　２、後亀山天皇に太上天皇の尊号を贈る。<br />　３、以後、南朝・北朝が交代で皇位に即く。<br />　これにより南北合一がなり和議が成立した。しかし、その後、北朝は、南朝に皇位を譲らず盟約を実行しなかったので、60余年にわたる争乱を招いた。<br />
<span id="more-172"></span><br />
　後亀山帝の祖孫尊秀王は、嘉吉3（1443）年9月23日に兵を率いて、京都を襲い、神器を奪い返し、比叡山にこもったが敗れ、尊秀王は自刃した。これを嘉吉の変という。<br />楠二郎等が、王の子の南帝王（北宮王）と、神器を奉じ吉野北山郷滝泉寺を御所とし、北朝打倒を図ること10有余年。そして、悲劇は突然起こったのである。</p>
<p>　嘉吉元（1441）年6月、赤松満祐が足利義教を謀殺して播磨の国へ逃亡した。9月に山名宗全が幕命を受けて、赤松を倒し赤松家はつぶれた。<br />　1447年赤松の遺臣が赤松家再興を願い出たが、条件として、北山から神器を奪還するということであった。赤松の遺臣約50名は、分散して十津川、北山に潜入し、南朝の遺皇子北山宮に仕えた。<br />　赤松遺臣は機をうかがい、長禄元（1457）年12月2日、夜半の大雪に乗じ、北山宮を倒し、神器を奪還した。後南朝方では、細心の要慎をして、皇子の影武者を何人もつくり、ニ、三の重臣以外は、皇子が、どのお方か知らなかった。同じように粗末な身なり、貧しい食事、全て同じだったので、赤松遺臣は皇子を見抜くのに苦労したが、ある朝、顔を洗っている皇子の中で、一人だけお湯で顔を洗っている皇子がいた。ほのかに立ち上る湯気で、皇子であることを見抜いたのである。誠に痛恨の極みであったろう。重臣のせめてもの切なる愛情が、文字通り命取りになってしまったのである。<br />　弟宮の河野宮は、万一のことがあってはいけないと、別の所に住んでいたが、殆ど同時に襲われて、南朝系は絶えたのである。　　　　　　　　　　　<br />+葛　城　陽　子</p>
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		<title>アサヒビール株式会社＜アサヒの森＞</title>
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		<pubDate>Mon, 26 May 2014 08:17:33 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[<p>　　戦死した父は、ビールが好きで、幼かった私の脳裏には、ビール腹で私を抱きかかえてご機嫌でアサヒビールを飲んで [&#8230;]</p>
<p>投稿<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com/2014/05/26/post171/">アサヒビール株式会社＜アサヒの森＞</a>は<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com">甘辛のれん会</a>の最初に登場しました。</p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img168_file.jpg" class="pict_right" alt="201406beer" title="201406beer" width="180" height="149" /><br />　　戦死した父は、ビールが好きで、幼かった私の脳裏には、ビール腹で私を抱きかかえてご機嫌でアサヒビールを飲んでいる父の姿が焼きついている。当然のことながら、私もビールは＜アサヒ＞、家族も習慣的に＜アサヒ＞党である。目まぐるしく発売されるビール業界の数多くの新商品があるが、＜アサヒ＞の新商品が出ると必ず試飲して、家族で楽しんでいる。</p>
<p>　第二次世界大戦の影響で、コルクの輸入が、途絶えることを危惧した大日本麦酒時代（アサヒビールの前身）1941年にビール瓶の王冠に使用しているコルクの代用品として、アベマキの樹皮が候補になり、それらが多く自生している広島県の山林を購入した。結果的にアベマキの樹皮をコルクの代用品としてビール瓶の王冠に使わずにすんだが、アサヒビール株式会社にとって、事業に必要なくなった森だではあったが、多くの生きものが生息する森は、放置しておくと荒廃してしまう。そこで一部の自然林も残しながら、ヒノキやスギの植林を始めた。ビールづくりにかける情熱を森づくりにも注いだ。1960年代から植林に着手。70年以上にわたって森を育ててきた。<br />
<span id="more-171"></span><br />
　森と海は密接な関係があり、充分に手入れされた健全な森からは、養分を含んだ水が川に流れ、川は海に流れ、養分を含んだ水はプランクトンを育み、貝や魚などが生息する豊かな海を作る。<br />　豪雨による洪水から人の暮らしを守るのも森の力。樹木の根が土砂崩れを防ぎ、地表を覆う落ち葉や草などが、侵食を防ぐ。ＣＯ2を吸収する森は地球温暖化防止にも欠かせない存在。森を育てることは、日々の暮らしを支え、守っていくことなのである。</p>
<p>　＜アサヒの森＞で間伐されたヒノキやスギは、原木市場や製材工場に出荷。主に建築材や内装材として加工され、国産材による家づくりに役立っている。国産材利用促進の一つとして間伐材を有効利用したグッズなどを全て国内で制作。商品は全国のビール工場などで販売している。また、＜アサヒグループ＞が運営する外食店舗向けなどにヒノキ割箸を年間100万膳生産。看板や絵馬の材料など、様々な用途を開拓している。<br />＜アサヒの森＞は、2,165ヘクタール（東京ドーム463個分）の広さがあり、全ての生き物を知ることは困難であるが、現状把握のため、2010年から2012年にかけて、15カ所の全域で調査の結果、植物668種、鳥類60種。その中に国や広島県が指定する「絶滅の恐れのある動植物」や「天然記念物」の貴重な動植物も発見できた。<br />＜アサヒの森＞は★身近な暮らしを支え★文化の伝承に欠かせない★次世代へと「未来」つくりに向かっていく。地域の子どもをはじめ体験学習もされている。　梶　康子</p>
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		<title>小鯛雀鮨すし萬＜鮨屋萬助・阿倍野歩道橋＞</title>
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		<pubDate>Mon, 26 May 2014 08:14:33 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[2014年夏号]]></category>

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		<description><![CDATA[<p>　＜すし萬＞と私との関わりは、若き日の娘時代に遡る。就職した会社の社長や重役の方々が、本社から大阪支社へ来られ [&#8230;]</p>
<p>投稿<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com/2014/05/26/post170/">小鯛雀鮨すし萬＜鮨屋萬助・阿倍野歩道橋＞</a>は<a rel="nofollow" href="http://amakaranoren.com">甘辛のれん会</a>の最初に登場しました。</p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.amakaranoren.com/main/img/img169_file.jpg" class="pict_right" alt="201406sushi" title="201406sushi" width="180" height="149" /><br />　＜すし萬＞と私との関わりは、若き日の娘時代に遡る。就職した会社の社長や重役の方々が、本社から大阪支社へ来られたときは、必ず＜小鯛雀鮨Ⓡ＞を、お土産にするのが、慣わしだった。当時は、阪神マート（現在の阪神百貨店）と、大阪横堀筋違橋（すじかいばし）の本店でしか売っていなかったと記憶している。<br />　余ほど美味しい物に違いない、女子社員でお金を出し合って、一切れずつ食味したことがあったが、その美味しさに一同驚嘆したものである。最高級のすし米を丁寧に炊き上げ、まろやかなハリのあるすしご飯は、他者に真似のしようのない創意と工夫を思わせる。明石鯛、吟味された醸造酢、全体を包んでいる昆布は、北海道産の選りすぐり、一度食べたら忘れられない美味しさだった。<br />
<span id="more-170"></span><br />
　次に食べたのは、長男を身ごもった時、激しい悪阻に苦しむのを見かねて、夫が、わざわざ筋違橋の＜すし萬＞へ行き＜小鯛雀鮨Ⓡ＞を買ってきてくれた。その時は一切れでなく思いっ切り、満腹するまで食べた。夫の優しさと雀鮨の美味しさに幸せを感じた。<br />　　　<br />　1986年4月19日＜すし萬＞創立333年。加えて当主小倉宏之33歳の記念パーテイーが催された。「３」という数字は、中国では縁起の良い数字として尊ばれる。まして「３」の字がこれだけ並び、これほど目出度いことはない。　<br />当日は当主自ら四条流の包丁式を行い、招待客を歓迎した。古来、賓客をもてなすのに、先ず俎板を客の前に持ち出して、主人もしくは料理に堪能なる者が板前に座し、右手に包丁を執り、左手に魚箸（まなばし）を持って、実際の調理法を示すのを包丁式と称して、最高の饗応とした。四条真蔭流家元和木包権（わぎ・ほうけん）師の解説もあり、厳粛な雰囲気の中にも、目のあたりに包丁式なるものを、始めて見たがよく理解できて、とても印象的であった。<br />　　文武天皇の12(708)年、小錦上国益に、姓高橋朝臣を賜わり、上古の料理法を伝えて代々供御のことを掌らせたのが、本朝御食（みけ）料理人の長（おさ）高橋氏が祖であるが、下って、光孝天皇が四条大納言山陰に命じて、新式を定めたので、後世この山陰を以って本朝料理人の祖となし、その流を四条流という。</p>
<p>大阪市阿倍野に日本一高い、高層建築物＜アベノハルカス＞が、今年3月にオープンしたが、ＪＲ天王寺駅、再開発された建物などを結ぶ交差点に洒落た歩道橋が、架け替えられたが、＜すし萬＞が、費用の一部を負担している。大阪で商売している感謝の思いがあり、いかにも大阪商人らしい心意気。通行人には気付かないが、橋の横側に、＜鮨屋萬助・阿倍野歩道橋＞と刻まれている。　　　　　　　　　　　　　　梶　康子</p>
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