花物語 ― 水仙<すいせん>
庭の片隅に水仙の花が咲いた。冬の厳しい寒さに耐えて凛と咲く端正な水仙の美しさに見入っていると辛い思い出が、私の胸を締めつける。
小学校時代に一番仲良くしていた小夜ちゃんと、ちょっとした言葉の行き違いから、お互いに「絶交」を宣言し、本当は好きなのだから、たえず相手を意識しながらも、組がえがあったりして離れてしまった。
第二次世界大戦の戦局もだんだん不利になってくると、各家庭でも庭をつぶして、食料難に備えて、自給自足の為に家庭菜園を作ったり、敵が空襲してきた時に避難するように、穴を堀って防空壕を設営した。その時に植木や花も取り払われて、淋しい庭になった。
東京・大阪に限らず、当時は一晩に2回か3回はアメリカのB29が襲来した。はじめのうちは、爆弾や焼夷弾を落したりはしなかったが、末期になって、本格的な空襲が、各地で繰り返された。
小学校時代に一番仲良くしていた小夜ちゃんと、ちょっとした言葉の行き違いから、お互いに「絶交」を宣言し、本当は好きなのだから、たえず相手を意識しながらも、組がえがあったりして離れてしまった。
第二次世界大戦の戦局もだんだん不利になってくると、各家庭でも庭をつぶして、食料難に備えて、自給自足の為に家庭菜園を作ったり、敵が空襲してきた時に避難するように、穴を堀って防空壕を設営した。その時に植木や花も取り払われて、淋しい庭になった。
東京・大阪に限らず、当時は一晩に2回か3回はアメリカのB29が襲来した。はじめのうちは、爆弾や焼夷弾を落したりはしなかったが、末期になって、本格的な空襲が、各地で繰り返された。
そんなある日、小夜ちゃんがやってきて、家族で田舎へ疎開することになったので、お別れにきたという。彼女の家の庭に咲いていた水仙を鉢に植え替えて持ってきてくれた。
「どうしても意地をはって、仲直りできなかってごめんなさい。けど、本当は、アーチャン<筆者のこどもの頃のニックネーム>が、一番好きだった。ケンカしてからこんなことになってしまったけれど、ほんとは、遊んでほしかった。もっと早く謝ってればよかたのに、とうとうお別れになってしまった。疎開をする前にどうしても謝りたかったの」
彼女の目から涙がふきだし、突然のことで、私もどう言ってよいのかわからず、「ゴメンネ。ゴメンネ。」と、ひたすら自分の非を詫び、泣き続けた。
離れていた期間のお互いの思いを語り続けても時間は足らず、見かねた母が、「今晩は、泊っていきなさい。」といってくれて、彼女の両親にその旨を連絡し、積もり積もった色々な思いを語り明かした。
その夜も3回夜中に空襲があり、彼女と一緒に水仙の鉢植を持って防空壕に避難した。敵機が去った後、無事を喜びあったが、それが、彼女との永遠の別れとなってしまった。翌日の夜の空襲で、彼女の家にも爆弾が落ちて、家族全員帰らぬ人となってしまった。
そんな大切な水仙であったが、、その後我が家も空襲を受けた時、家ごと何もかも、そして私にとって何よりも大切な、水仙の植木鉢もフっ飛んでしまった。
水仙の花をみると、子ども時代の切ない別れが、心を突き刺す。
梶 康 子
「どうしても意地をはって、仲直りできなかってごめんなさい。けど、本当は、アーチャン<筆者のこどもの頃のニックネーム>が、一番好きだった。ケンカしてからこんなことになってしまったけれど、ほんとは、遊んでほしかった。もっと早く謝ってればよかたのに、とうとうお別れになってしまった。疎開をする前にどうしても謝りたかったの」
彼女の目から涙がふきだし、突然のことで、私もどう言ってよいのかわからず、「ゴメンネ。ゴメンネ。」と、ひたすら自分の非を詫び、泣き続けた。
離れていた期間のお互いの思いを語り続けても時間は足らず、見かねた母が、「今晩は、泊っていきなさい。」といってくれて、彼女の両親にその旨を連絡し、積もり積もった色々な思いを語り明かした。
その夜も3回夜中に空襲があり、彼女と一緒に水仙の鉢植を持って防空壕に避難した。敵機が去った後、無事を喜びあったが、それが、彼女との永遠の別れとなってしまった。翌日の夜の空襲で、彼女の家にも爆弾が落ちて、家族全員帰らぬ人となってしまった。
そんな大切な水仙であったが、、その後我が家も空襲を受けた時、家ごと何もかも、そして私にとって何よりも大切な、水仙の植木鉢もフっ飛んでしまった。
水仙の花をみると、子ども時代の切ない別れが、心を突き刺す。
梶 康 子